≪講演録≫無印良品流 人の育て方と仕組みづくり
01年~02年に行ったことー不採算店の閉鎖、縮小
最初は家賃を下げてもらえないかとデベロッパーを回りました。当時既に出来高家賃で、売り上げが相当下がっていたので家賃も相場を下回っており、行くと必ず逆に家賃を上げてほしいと言われました。話はずっと平行線です。
3年契約なので3年分払ってほしい、そうでなければ出て行ってほしい、とも。1年経って2002年、お店は1割閉鎖、300坪の店は150坪へ縮小。こういう対応で出血を止めていきました。
不良在庫の処理
お店を回ると、お店が非常に汚いのです。それは掃除が行き届いていないというわけではなく、2001年の春物がお店の一等地、前面で販売され、奥の二等地三等地に行くと前年の春物とか秋物、前々年の春物が7割引とか8割引で処分されているのです。とても今年の春物が売れる環境ではありません。この時の在庫は38億円分ありました。新潟県の見附のセンターに大きな段ボールに入って山のようにあったのです。
私は物流担当をしていましたので、この構造はよくわかっていました。38億円の衣料品の赤字=在庫は売価に直すと100億円。つまり売価100億円の在庫が山のように物流センターにあるのです。これをなんとかしないといけない。寄付も考えたのですが、例えばタイやフィリピンに1000万円寄付するのは大変なこと。半年かかってもそんな金額は達成できないくらい、寄付は難しい。
従って焼却するしかないという結論に。新潟県の小出という山間部に最新鋭の焼却炉が出来ていて、そこで焼却処分をしました。38億円の在庫は焼却で簡単にゼロにできて、結果的に赤字は38億円になりました。焼却の際、衣料品のマーチャンダイザーも全員連れて行きました。自分たちの作った商品が現実に一度もお客様に渡ることなく、お店に出ることもなく、在庫として焼却される。作った人間にとってこれは一番厳しいことでした。
そしてきれいに在庫がゼロになったにも関わらず、また半年後の2002年2月の末を迎えると在庫が溜まっていました。なぜ溜まったのか?ちょうど右肩上がりの10年間、売上が100の時、在庫は150作っていました。50の余裕があると欠品が防げたのです。そしてもう一つ、正価販売率が下がるに従って、余分に作っていかないと目標の100という数字に届かないので150作っていました。これが相変わらず続いていたのです。
2002年5月、衣料品の売上は昨年比66%でしたので、つまり作った在庫の半分しか売れない。従って残りの在庫の半分が溜まっていき、また半年後に在庫の処分をしなければならなくなったというわけです。人間は1回の失敗ではなかなか気づかないのですが、2回失敗するとさすがにこれ以上の現実はないことに気づき、改革はきちっとスタートしたのです。
初めての減収
2002年度、売上が減収となりました。1割を閉店したので減収にならざるを得ませんでしたが、幸いにも無印の歴史の中で減収はこの1年だけです。膿は全部出してしまえとできる改革はすべてやりましたが、ここを減益にすると3年連続減益、最後は減収減益になってしまいます。
減収減益になると会社として立ち直れないダメージを受けてしまうので、経費を大きく削って、かろうじて増益にはしました。それから2003年には売上は回復して前年に並び、2005年には過去最高益になり、その後どんどん更新していきました。
企業体質の変革―「セゾンの常識は当社の非常識」
リストラもたくさんやったのですが、業績回復の本質的な理由は別にあるのでは?と考えないと説明できないことがたくさん起こっていました。そして「それは我々の育ってきた企業風土ではないか?」というのが確信に変わっていきます。
文化と感性―堤清二というオーナーに率いられたセゾングループは文化と感性で作り上げてきました。三流の西武百貨店を一流にしたいという思いから、ほとんどの海外ブランドをいち早く導入し、現実に日本一の百貨店になりました。この「文化と感性」が非常に強くて、セゾングループを作り上げる要因になったのですが、一方、科学的にオペレーションできない、チェーンオペレーションすら入らないという反対のマイナス局面も出てきます。経験主義なため、仕組みもありませんでした。
経験主義―入社して15年販売を経験すると、冷夏も暖冬も大雪も台風も大抵経験します。その経験値でどんな気候、状態にも対応できるようになります。例えば暖冬で失敗すると暖冬対策がしっかりできるのです。でも経験主義が本質的なことにたどり着くことはありません。人が辞めると共に全部会社の財産が失われて行くのです。私のいた西友は希望退職を3回募りました。2回目は1700人。どんなにいい人材を残そうとしても優秀な順番に辞めていきます。そして、会社の蓄積も優秀な人が去ると共にゼロになっていきます。構造的にどうしようもありません。従って私どもは「見える化、マニュアル化」を施行するようになっていきました。
企画中心―西友での人事部時代、現場で困っていること等をヒアリングして作った人事制度は100%通りませんでした。西武百貨店の人事やパルコの人事、西友の人事で情報交換して作っても滅多に通らないのですがたまに通って、さぁ、次に実行しようとすると、それは現場からの積み上げになっていないので、実行できない。実行できるようなことが書いていないからです。
このようにして実行力がものすごく弱い組織になっていきました。これに対してイトーヨーカドーさんは実行力が強い。セブンイレブンでは翌朝に全店の販促が変わります。我が社でしたら1ヶ月経っても変わらないのに、です。
これがセゾンがなくなった理由の一つであると考えざるを得ません。企画95%、実行5%の企業風土を計画5%、実行95%に変えないといけない。このように「セゾンの常識は当社の非常識、当社の常識はセゾンの非常識」だと大きく反対に旗を振って改革に乗り出しました。この頃、私が外で「セゾンの常識は当社の非常識、当社の常識はセゾンの非常識」と言っていたのをオーナーの堤さんもご存じだったはずですが、一言も文句を言われたことはありません。実行力が必要であることを十分分かっておられる優秀な経営者であったと思います。