≪講演録≫無印良品流 人の育て方と仕組みづくり
90年~99年、順風満帆の成長
1990年3月西友から直営店の移管を受け、株式会社良品計画としてビジネスをスタートしました。
最初の年の売上は245億円で経常利益1億円、そして99年度(2000年2月末)売上は1000億を超えて経常利益は130億円を超える、順風満帆の成長を遂げていきます。
時代を先取りした商品を持ち、アイテム数が増え、お店の数が増え、店の面積が大きくなり・・・、お客様のところに近づいていきます。それと共にお客様がどんどん買ってくださる。この頃が初期の一番幸せな時代です。
91年3月には海外に展開します。当時の創業者は、「海外で通用しないブランドは国内でも通用しない」と言っておりました。私は91年の3月に西友から出向をしてきて、西友時代人事畑が長かったので、転籍の準備に入る人事制度、給与計算、自前での採用、労働組合をつくる、そして「海外の責任者を誰にするか」が自分の仕事でした。
93年には物流事業にも入っていきました。今私たちは製造小売業(SPA)という業態ですが、当時SPAという業態はまだありませんでした。SPAですから、自分たちでメーカーさんに発注します。当時メーカーはどんどん海外に出ていましたので、海外から大きなカートンに入って商品が届きます。
大抵は生産地で仕分けをするのですが、一部日本でも「流通加工」と言いまして、小分けをしたりパッケージに入れたりという作業をしていました。また、不良品が結構あって、その不良品を直さないといけませんでした。
そこで、新潟の見附という繊維の街に物流子会社を作り、大きな物流センターを作ったのです。この非常に長い商品調達までのラインを合理的にしないとSPAというビジネスモデルが完成しないと気づいたからです。従って、物流事業に入るということはビジネスモデルの完成に非常に大きな意味を持っていたわけです。
そして95年に株式公開。順調にスタートを切ったというのが、初期の10年間の業績です。
成功の要因
後で整理した成功の要因としては、以下のようなことが挙げられます。
- 無印良品のコンセプト形成。非常に強いコンセプトがあるということ。
- 脱セゾン化
- 出店による商品開発のプルアップ
- 生活雑貨拡大政策による差別化推進と成長
- 製造小売業(SPA)による高差益率
成熟化というのは食べるものから入ってきます。そして着るもの、最後は生活雑貨。住空間を中心とした衣食以外という領域です。私どもは起業した頃、既に食品と衣料品に対する成熟化対応は終わっており、残された領域は生活雑貨でした。
当時日本で最大の家具の専門ショップだった丸井のインザルーム(in The Room)に追いつけ追い越せと言うのが私たちのスローガンでした。そして、その政策の通りに、日経新聞によると「生活雑貨専門店」、55%が生活雑貨というビジネスモデルが出来上がったのです。
私どもの1000円の商品は500円で作ります。ハーフコストです。西武百貨店や西友ではこれに150円乗った650円で問屋から仕入れ、1000円で売ります。350円でビジネスをする、これが普通の小売業です。私どもはSPAですので150円というメーカー利益に相当するものもあります。売れると非常に粗利が高い。
その代わり、全部オリジナル商品なので返品ができない、全品買い取りで売れなくなると在庫の山を築く、というハイリスクでハイリターンなビジネスです。ただ、販売する私どもが直接商品を作っているので、お客様のニーズに非常にあった商品を作りやすいと言う特徴もあります。
今、比較的日本で元気な専門店、例えばユニクロ、GAP、H&M、ZARAはこの領域に入ります。
そして順調な10年を過ごしたわけです。