≪講演録≫無印良品流 人の育て方と仕組みづくり
初めての挫折
2000年初めて減益を経験。2001年さらに利益が半減していきました。当期利益はゼロ。厳密には前年比0.2%、99.8%減益の1300万でした。2001年中間期8月に38億円の赤字に転落、本当は赤字にせざるを得なかったのですが、残りの半期でそうとう頑張って黒字にしました。
2001年1月に私は社長になりました。前任の社長が業績不振の責任を取って急遽辞めてしまいましたので、肩慣らしもせずにマウンドに上がったようなものでした。社長としての最初の年の成績はこの2001年の成績です。
99年(2000年2月期)の株価1万7350円、時価総額4900億円が1年後の2001年2月には株価2750円、時価総額772億円となり、実に株価は1/6に、そして時価総額4100億円を1年で失ってしまったのです。これだけ急激に下がってしまったので、前任の社長としては辞めざるを得ませんでした。
そして、世間の評価は「無印の時代は終わった」でした。20世紀後半に出てきた変わったブランドが21世紀を迎えて終焉の時を迎えたのです。
社長になってから4半期決算の決算発表に行った時のことです。決算発表が終わると夜テレビが放映してくれ、翌日新聞が書いてくれます。社長ですから、どれだけ悪い中でも少しでも、と良いことを言ったつもりなのですが、私の言ったことが翌日の新聞に載ることはありませんでした。
「無印赤字!」「3割減益!」。この時は急激に悪くなったので恰好の週刊誌ネタにまでなってしまい、「とうとう管理畑出身の社長が誕生した!」と書かれました。「本流の、営業から社長を出せない会社になってしまった」というトーンの記事が踊るわけです。人の不幸は蜜の味というのを痛切に感じる日々を過ごしていました。
その時日本で流通を代表するNo.1アナリストに「日本の専門店で一度凋落して復活した例はない。頑張ってください」と言われました。当然彼は無印の復活はもう無理だと思っていたのでしょう。名前を言うとみなさんご存じの専門店で同様な状況に陥ったところがありますが、現実には復活することはありませんでした。
アナリストの言うことは正しかったのです。もう一つ、「復活はうまくいっても3年」とも言われていました。ちょうど三越さんが、百貨店のビジネスモデルが崩れ、かなり苦労をして再生の道に入っていた頃です。「再生には1000日かかる。うまく行っても3年」というのがこのアナリストの意見でした。
「サラリーマン人生の最後に一番重い荷物が来た。これを持てないと私も倒れてしまうが、会社も一緒に倒れてしまう」これが2001年に起こった現象でした。
【挫折の内部要因】
原因はいろいろありました。
- 慢心、傲り -無印はこれでいいんだー
- 急速に進む大企業病 -寄らば大樹、危機感の喪失―
- 焦りが短期的な対策に終始 -根腐れを起こしていることころに迷走状態―
- ブランドの弱体化 -“わけあって安い”コンセプトの希薄化ー
- 戦略の間違い -急激な拡大政策ー
- 社長交代・・・
内部要因がkeyですが、9割以上が内部要因でした。会社の中から必然的に出てくる欠点です。売上245億。西友の1/8、1/9からスタートし、10年間は絶好調で会社は自信満々。議論は内向き。内部のことしか議論しない。
ダイソーさんが無印と同じ商品を100円で、ニトリさんが無印より3割安く作れ、と各社が必死になって無印を研究している間、我々は左うちわだったのです。取引先の担当者も何も言わない、社内は「これでいいんだ」と動いてきてしまいました。
衣食生3つの分野のうち最初に悪くなったのは衣料品でした。衣料品が悪くなった理由はスーパーの西友が作った衣料品という評価からでした。衣料品はファッション性があって、トレンドのカラーも入っていて、ものもしっかりしていないといけません。
私どもは「Sは女性、Mは男性」みたいなシンプルな商品でやってきましたが、それが通用しない時代を迎えます。ダサい無印の衣料品。スーパーの西友が作った衣料品。ほとんどの社員が西友出身者でしたので仕方なかったのかもしれませんが、このように衣料品から一番最初にお客様がいなくなっていきました。
ユニクロさんやGAPさんへお客様がどんどん移って行ったのです。組織が幼かったせいもあり、「衣料品の売上が悪いのは衣料品の部長のせいだ!」ということになってしまいます。本当は決してそうではなくて、物を作る力というのは会社の商品を完成する全体の仕組みのせいなのに、経験主義の組織では「責任者が一番悪い」ということになってしまいます。とうとう3年間で衣料品部の部長は5人交代し、大混乱が起こりました。
そして、こんな状況下ではマーチャンダイザーだけでは立て直すことはできないと、モノを作れる人たちを採用していきしましたが、彼らがわが社にはない風土を持ってきてしまいます。それは盆暮れ、リベートを要求されることでした。盆暮れは品物だからまだいいのですが、リベートは現金。大変具合が悪かった。
また、コンサルタントという人たちがたくさんやってきました。普通に来るなら全く問題ないのですが、西武・西友の社長から紹介されて来ます。当時の筆頭株主は西友です。優等生だった無印のどん底をなんとかしたいという親心からのことなので、なかなか断れません。一応全部話を聞きました。
自信がないので、すがる思いで聞きました。そしていろんなことをやったのですが、コンサルタントで立て直すことは出来ないという結論に至ります。