【ロングインタビュー】「ベンチャー型事業承継」は古くて小さな会社にこそ商機あり
―別会社として立ち上げたのは?
父の会社の一事業部門として始めたとしたら、外部の人はどうしたって、「社長の息子」という目で見る。「ぼん」とか呼ばれるのイタいでしょ(笑)?その軸をはずしたいと思ったんです。業界の慣習を打ち破る事業でしたから、業界からはたたかれました。
地域にトラックで配送するのが父の仕事だとしたら、それを安く、どこでも配送するのが僕の仕事。業界の会合でビールをかけられたこともあります。
だから父に迷惑がかかってもいけないという気持ちもありました。だから「日本モーターパーツ」と「カスタムジャパン」は社名のテイストもがらりと変えましたし、実はしばらくビジネスネームも使っていました。
カスタムジャパンの社長として「マイケル・ツンジン」って名乗っていました(笑)。マイケルは昔、英会話学校に通っていたころのあだ名、ツンジンは村井を中国語で発音したときの音です。業界新聞にもマイケル・ツンジンという名前で掲載してもらいました。(笑)。
当時は、家業の日本モーターパーツの仕事を終えて、夜中にカスタムジャパンの仕事をする毎日。でもまったく苦ではありませんでした。ITベンチャーで働いていたときにがむしゃらに働いた経験が役立ちました。仕事がハードな会社でも伸びている会社で働く経験は無駄にならないと思う。
なによりこの事業を成功させたいという事業欲がありましたから。その気持ちがないなら、おとなしく親父の事業をしっかり守ったほうがいいでしょうね。
とはいえ、社外には家業とばれないようにしながらも、仕入先は先代の培った資産を最大限に使わせてもらいました。海外の仕入先も、先代のネットワークをたどっていくと見つかるんです。これはめちゃくちゃおいしかったですね。
現在はバイクと自転車で6万店舗ほどと取引しています。業界ではトップシェアです。僕が入社したころ数人だった従業員は今2社合わせて百名を超えるぐらい。祖父以来の60年の歴史と信用を最大限生かしての結果です。
―お父さんとは仲良くなりましたか?
父と息子は難しいですね。父に対しては、間近で父の生き方を見てきたいろいろな感情がある。会社では社長という存在でしたし、かといって会社を離れれば親子です。それぞれの局面を同じペルソナ(人格)で接していたら、とてもやっていられません。
だからぼくは場面ごとにペルソナを使い分けています。社長と社員としてのペルソナ、家業を継ぐ立場としてのペルソナ、親と子としてのペルソナ。それを使い分けることができて初めてベンチャー型事業承継ができると思っています。
客観的に会社を見て、それまで築いてきた有形無形の使えるところはなんでも活用する。経営で一番大切なのは永続的に持続可能な会社になることへの挑戦やと思うんです。その心がベンチャー型事業承継の核心です。
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→ 家業を再定義、勝てる土俵で勝負する
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)
株式会社カスタムジャパン
代表取締役
村井 基輝氏
事業内容/2005年創業。バイク・自転車・自動車パーツと整備工具のカタログ・ネット販売を手掛ける。家業の株式会社日本モーターパーツの3代目も継承した。