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「商いは心」先代から学んだ商売の原点

自信を打ち砕かれたタイミングで切り出された世代交代

大同生命を退職後、明治23年から続く家業の渡辺護三堂に30歳で入りました。先代の父親が受け入れの環境を整えてくれていたこともあり、スムーズに組織に入ることができました。ところが、自分なりの経営スタイルができ上がってきたころから父とぶつかり始めました。例えば、「職人は多能工のほうが効率がいい、営業は作業着よりスーツが鉄則、挨拶の声が小さい…」など経営改革の必要性を父に訴えるのですが、「何を考えとんのや!」とことごとく反対されるんです。35歳で専務に就任してからは、いよいよ衝突が激しくなりました。古株社員に「まあまあ」と仲裁される始末。この温厚そうな私がですよ(笑)。当時は「この人がほんまに俺の親やろか」と思うほど仲が悪かったですね。

転機は、社長に就任する前年、38歳のとき。いま思えば親心だと思うのですが、ある日「1年間お前の思うようにやってみろ」と父に言われました。私も張り切って、ここぞとばかりに改革をぶち上げましたが、結果は惨敗。組織が乱れ、技術が低下し、売上げも振るわなくなった。

世代交代を告げられたのはこのタイミングです。自信を打ち砕かれて落ち込んでいるとき、先代から「社長を代わるぞ」と切り出されたんです。「なんでいま?」と思いましたよ。しかし父も、祖父との間で世代交代の苦労があったようです。だから自分はあえて口出しせず、会社の全責任を背負う社長業とは何たるかを体得する機会を与えてくれたのだと思います。

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創業以来培った技術で挑戦する新たな事業展開

39歳で社長に就任後、会長に退いた父は一切口出しをしなくなりました。私はといえば…ものすごく慎重になりましたね。専務時代に5千万円の機械をポーンと入れたこともあるのに、5万円のパソコンの決済すらめっちゃ悩みます(笑)。ですが、1円単位でコスト意識を高めたことで経営基盤が磐石になりましたね。リーマンショックや震災で業界が大打撃を受けるなか、当社はプラス成長で乗り切ることができました。

どうせやるなら日本一をめざしたい。そう考え、新規開拓にも力を入れ、一流企業との取引も始まりました。さらに、フレキソ印刷の技術を他の分野に転用できないかと研究を重ねた結果、精密機器部品の接着技術として使えることがわかりました。それも「技術課題があればあるほど燃える」職人気質の社員を父が育ててくれていたからこそ。今まで無縁だった工業製品の商談会にも出展すると、エレクトロニクス関連の企業から引き合いも多く、新たな事業展開に手ごたえを感じています。

当社の社名の由来は「愛情・技術・信頼の3つを護る」こと。なかでも祖父は、商売の心を教えてくれた。私がまだ幼稚園のころお店に連れて行かれるたびに、店員の接客を見て「いまのお辞儀どう思った?心がこもってなかったやろ?」と教えられたものです。でもふと気付けば、私自身も3人の子どもたちに同じこと言うてるんですよね(笑)。
ビジネスは「人」ありき。先祖代々受け継がれてきたこのスピリットを護り続けていきたいですね。

2011年12月10日
株式会社渡辺護三堂
取締役社長  
宮田 玲氏

1890年創業。従業員40名。樹脂の原版から被印刷体にダイレクトに転写するフレキソ印刷を専門に手がける。創業以来培ったフレキソ印刷の技術が、工業製品の分野に活かせるとしてエレクトロニクス業界での事業展開に力を注ぐ。

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