「あきらめなければ道は開ける」先代が背中で教えてくれた
まさかの会社全焼。父親の姿に家業を継ぐ覚悟を決める
専門学校卒業後、日立製作所に入り、充実した日々を過ごしていました。ところが入社して6年が過ぎた頃から、鮮魚卸を営む親父が廃業に向け準備をしている話を耳にするようになりました。「俺が継がんと店がなくなるんや…」。漠然とですが、大企業に勤める安定した人生と親の後を継ぐ人生との狭間で葛藤するようになったんです。
揺れ動く思いを抱きながら父の会社の年末行事に参加したときのこと。うちの年末は全従業員が総出でお正月用の鯛を焼くんです。先代の働く姿を目にし、「親父と一緒に仕事するってどんな感じなんやろ」とふと思ったんです。そこから家業の歴史を片っ端から調べることにしました。祖母に話を聞いたり、はるか昔に働いていた人の家に押しかけたり…(笑)。父親や親戚が祖父の店を継いできた経緯も聞きました。
すると両親も知らない事実がわかったんです。それは魚里本家の創業が明治35年だったこと。つまり創業100年を超える老舗だったんです。歴史の重みを実感し、自分の代でつぶすわけにはいかないと感じました。財務諸表を見ると利益も出ている。「何とかやっていけるかもしれない」との思いを強めつつも、どうしても会社を辞める決断ができないでいました。
その迷いを吹っ切ったのは、親父の姿でした。2002年に隣家の火事が延焼し、うちの店舗兼事務所が全焼したんです。その際に親父はどうしたか。なんと店舗が燃えている最中、「お客さんには迷惑かけられへん」と翌日の営業の準備に奔走してたというんです。この話を後で聞いたとき、身震いし、なんてすごい親を持ったものだと心から尊敬しました。「親父と一緒に仕事がしたい!」と心の底から思い、会社を辞める決心がつきました。
何の役にも立たないという無力感…
自分は親父ができなかったことをやろう
ところが入社後に苦労が待ち受けていました。日立で働いていた私にとって、魚屋はまったくの異業種の世界。自分が何の役にも立たないんです。先代は12歳で仕事を始めて50年の経験があります。仲買や従業員からの信頼も厚く、魚の鮮度の目利きやさばく技術もすごい。かたや自分は何もかも素人。悔しかったですよ。でも「親父と同じことをしてもこの差は埋められへん。それやったら親父ができなかったことをして超えてやろう」と考えるようになりました。
そこで私が着手したのが業務改善と営業力強化です。これなら自分がサラリーマン時代に培ったノウハウが活きる。まず始めたのがお店の清掃活動。最初は閉店後に一人で掃除を始めましたが、私の姿を見た従業員が一人、また一人と手伝ってくれるようになりました。さらに親父と一緒に仲買や取引先に出向き、顔を覚えてもらえるようなるべくコミュニケーションをとりました。2年目を迎える頃からかな。従業員からもお客さんからも信頼を得られるようになりました。
これから鮮魚卸の事業領域を広げるために、ネット販売や、飲食店の展開も検討しています。たぶんこれからも苦労すると思います。でも「どんなときでも前向きに。あきらめなければ必ず道は開ける」と言い続けていた先代の言葉を励みに乗り切ります。
株式会社魚里本家
取締役社長
里村 文崇氏
1902年創業。従業員9名。100年以上の歴史を持つ老舗鮮魚店。寿司・割烹・居酒屋、企業の給食センター、ホテル・旅館、大学・保育所などへ活魚・鮮魚・冷凍品・加工食材を納品している。