200年続く老舗おこしメーカー7代目がめざすのは老舗×ベンチャーのハイブリッド型企業。
1805年創業のおこしメーカー、7代目の小林氏。9年前に入社して以来、「個人商店から脱し、企業としての組織」をめざしてきた。おこしづくりにこだわりつつも、現代風にアレンジした商品を社員が主体的に企画し、開発する体制ができあがりつつある。
―創業して200年余になりますね。
当社は1805年に、北堀江のあみだ池で創業して以来、210年間、大阪名物「岩おこし」「粟おこし」をつくり続けています。しかしながら飽食の時代、多くの洋菓子が手軽に買えるようになり、おこしの認知度は相対的に低下してしまいました。私の代では、おこしをアレンジして、若い人が誰でも知っているような、古くて新しい「大阪みやげ」に復活させることを夢見て挑戦しています。
―家業を継ぐことについてはどう考えていましたか?
母方の祖父母に「あなたは小林家の長男だから」ということをよく言われていたので、小さい頃から漠然と家業を継ぐのだろうな、とは思っていました。しかし父はというと「継ぎたくなかったらええよ」という感じでした。
「勉強せえへんやつには継がせへん」とか、妹がいるので、「婿養子で優秀な子が来るかもしれへんからお前に決まったわけじゃない」とも言われていました。とは言いながら大学では経営学部に行け、とも(笑)。とにかく父は父なりに、会社は簡単に継げるものではないぞ、と伝えたかったのだと思います。
―入社はいつ?
大学卒業後、オリックスに入社しました。27歳の頃、父に「そろそろ戻ろうか」と伝えたところ、父からは「まだちょっと早い」と。なぜなんだろうと思いながら、もう2年オリックスで働き、30歳になる年にあみだ池大黒に入社しました。
会社に入ってから業績を確認すると、大阪で開催された花博をピークに右肩下がりでした。しかし直近は体制をスリム化する等、改善の兆しもあり、直接父に聞いたわけではありませんが、僕の意思がわかった時点で、私が帰ってきやすいような環境を整えてくれていたんだと思います。
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株式会社あみだ池大黒
専務取締役
小林 昌平氏
事業内容/1805年創業の老舗。おこしを中心に「大阪みやげ」を展開。百貨店のほか、駅、空港、テーマパークなどで販売。