【ロングインタビュー】日本型農業モデルをカンボジアへ“輸出”
―家業を継ぎ、農業の可能性に気づき、それがもともとやりたかった国際開発にもつながったのですね。それでカンボジアへ?
最初は日本からの農作物の輸出を考えたのですが、どうしても日本で売る価格の2、3倍になってしまいます。贈答用に使われる果物ならまだしも、日常食べる野菜は輸出ではなかなか売れません。そこで現地で農業生産することを決意しました。当初は中国でと考えました。
ところが調べてみると、土も水も汚染が進んでいる上に、提携する現地のパートナー探しも難航しました。そのころ、カンボジアで教育者を教育するための学校を運営していた方と出会い、カンボジアに行く機会があったのです。農村を訪ねて話を聞くと、「小学校はあるけれど教師がいない。
さらに、そもそも通う子どもたちがいない」と言うのです。聞けば、カンボジアでは労働者人口の8割が農業に従事しているのですが生産性が低いために、子どもまで労働力として頼らざるを得ないという現状がわかりました。
一方で、農機具の使い方はうまく、農場の手入れも行き届いており、農薬もほとんど入ってきていない。そうしたカンボジアの農業の優位性に日本の農業技術を組み合わせれば、生産性を上げることはでき、ひいては子ども達も学校に行けるようになる、と考えました。もともとやりたかった国際開発の仕事と結びつき、まさにライフワークになると確信しました。
―カンボジアで農業を、と。まず何から始めたのですか。
まずは試験栽培できる農園探しからです。だれに話を持ちかけても、農業投資の話としてしか理解してもらえず困りました。「キャッサバをつくればこれだけ儲かるし、土地も上がるからいっしょにやろうぜ」みたいな感じで。僕たちがやりたいのはそういうことではなくて、と思いを伝えるうちにある方の紹介で出会った農場のオーナーが「カンボジアのためにやってくれるのなら無料で貸すので、研究に使ってください」って言ってくれたんです。
そこでカンボジアに2012年6月に現地法人を設立しました。僕ともう一人の日本人の生産者と2人で農場に張り付きました。どんな作物が収穫できるのか、どういう病害虫が発生して、どう防除できるのかといったことをずっと研究していました。1年間安定して収穫でき、日本で作るよりいい質のものができたのがオクラでした。そこまで約1年半かかりました。
じゃあ販売しようとなったときに、オクラを収穫時のいい品質のまま届ける物流がない事に気づきました。だったら、自分たちでやるしかないな、ということで、プノンペンの市街地に小さい配送センターを借りて、パッケージして配送するまでの流通システムをつくりあげました。日系飲食店や現地の大手スーパーと商談が成立し、野菜がまとまって動き出したのは13年末くらいからだったでしょうか。
―同時に日本から果物の輸出も?
日本からの農作物の輸出販売について、現地の最大手スーパーであってもアカウント(口座)を簡単に開くことができました。ただ、難しいのは売れる商品をどうやって届けるか。嗜好性の問題もあるんです。現地の方は日本人が好むような熟した柔らかい果物は敬遠し、硬いものを好みます。
僕たちが強いのは、そうした市場のニーズに即座に対応できることです。硬いものが好まれていることがわかれば、日本での収穫を1週間早めればいい。しかも農家から直接港、空港に送るので早ければ収穫から1~2日後に現地に届ける事ができます。
―日本の他の生産者からの反応はいかがでしたか。
地元の奈良では、変わったことやってるな、と思われていたみたいです。「阿古のせがれとつるんだら海外に連れて行かれるぞ」なんて冗談も言われたりもしました(笑)。
日本の農業の可能性を広げるためにチャレンジしている中で「俺たちのマーケットを奪うつもりか」という声も聞こえてきました。それでも時間の経過とともに、周りの見る目がだんだん変わってきたんです。「日本からの農作物の輸出がどんな状況か教えてくれへんか」「向こうのマーケットはどんなんや」という話をしていただけるようになりました。
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株式会社ジャパン・ファームプロダクツ(カンボジア)
代表取締役社長
阿古 哲史氏
資本金/10,000ドル 従業員数/26名 設立/2012年
事業内容/野菜・果物の現地生産及び提携生産、日本の農産物及び加工品と現地生産野菜の販売、農産加工品の開発。