世界から注目される日本の長寿企業文化 【日韓中小企業経営者座談会】
企業の永続を図る事業承継について、韓国の中小企業経営者と大阪の企業経営者とが情報、意見交換を行う「日韓中小企業経営者座談会」が10月1日、大阪産業創造館で開かれた。座談会には、韓国側がKOTRA(大韓貿易投資振興公社)から7人、日本側が若手経営者の異業種ネットワーク「なにわあきんど塾同友会」から12人が参加。日本企業の経営者からは、長寿企業において「家族」の果たす役割の大きさがあらためて強調され、M&Aが一般的で家族で事業を承継する企業文化を持たない韓国の経営者の関心を呼んでいた。
冒頭、座談会を企画した大阪産業創造館、山野千枝チーフプロデューサーが日本の長寿企業文化の概要について報告。日本には業歴が100年以上の長寿企業が2万6千社を超え、世界的に見ても長寿企業大国であり、その大半が同族企業であるとした上で「先代から引き継いだ経営資源をベースに新たな挑戦をしている」「効率よりも人材育成や取引先との関係についても長期的に醸成する風土が根付いている」など、その強みを指摘した。
「日本企業の企業存続力」について討議したセッションでは、日本の経営者から事例紹介がなされた。業歴124年の渡辺護三堂の5代目社長、宮田玲氏は創業来、印刷に使う版を製造し、現在ではエレクトロニクス分野向けの樹脂版も手がけていることを報告。韓国の経営者から「技術を磨き続ける精神が素晴らしい」と代が引き継がれる中で事業が進化し続けていることに高い評価の声が挙がった。
また、「事業承継の予定だった兄が病気になり、家業を継ぐのが困難な状況になったため継がざるを得なくなった」(カジテック・梶浦昇社長)、「広告会社で勤務していたが、父が倒れ、従業員が真摯に働く姿を見て工場をつぶすわけにはいかないと思った」(上田製袋・上田克彦社長)と継承のきっかけになったエピソードが紹介された。
これを受け、韓国側のターボリンク社長、ハ・ヒョンチョン氏が「やむを得ず引き継いでいるケースも多い。突然降りかかってきた家業を引き継ぐことになって今は満足しているのか」と質問。上田氏は「初めは敷かれたレールの上を行くのはいやだと思っていたが、レールだと思っていたものは今では滑走路だったんだと実感している。滑走路を残してもらったことでしっかり事業ができることに満足を感じている」と答えた。
また、韓国の世界油圧社長のキム・ドンボム氏から、家業として事業承継がなされていく日本の企業文化について「韓国には子どもに事業を引き継ぐ文化はない。私自身は社員に引き継ごうと思っている」と考え方の違いもあらためて浮き彫りになった。
日本の参加企業の中で最も老舗となる、155年の歴史を持つ浪芳庵6代目社長の井上文孝氏は「小さい頃から家業を見ていて、私が継いで、次の7代目に渡すことが使命だと感じた。他人に継がせると、もしかしたら事業を辞められてしまうのではないかという恐怖感がある。血がつながっているからこそ事業は続いていくものだと思っている」と長寿企業にとっての「家族」の持つ意味の大きさを語った。
とはいえ、日本も長引く不景気や商習慣の変化から、後継者候補が不在という中小企業が増加傾向にあり、欧米型のM&Aの事例も増えつつある。しかし、製品の納品後のメンテナンスも求められる製造業において企業の存続力は圧倒的な強みとなる。「10年後に存在しないかもしれない会社から機械や部品は買えない。うちなんか50年前に納品した装置のメンテナンスで今もお客さんから呼ばれる」と語った製造業経営者の一言にヒントがあるのではないだろうか。
確かに、M&Aで事業や会社を他社に売却することで、一時的には技術は引き継がれるかもしれない。しかし、その技術を守りぬいていこう、進化させていこうという人間の「意志」を引き継いでいくのは難しい。
個人保証や事業承継に関する贈与税・相続税など、事業承継に関する課題は日本も山積みだ。しかし、長寿企業文化を守っていくこと、つまり「家族の事業を承継していこう」と覚悟を決めた後継経営者を応援していくことは、技術立国日本の製造業にとってきわめて重要な政策といえるのではないだろうか。
▲日韓両国の経営者が車座になって意見交換を行った。
▲初顔合わせの皆さんで名刺交換。
▲全員で写真撮影。
▲懇親会は大阪産業創造館近くの居酒屋で。
▲某テレビ局の取材が入りました。