突然の子宮がん。ステージ4を宣告されるも奇跡の復活を遂げた女性後継者の信念
「身体が洗えて、衣服も洗えて、食器も洗えて、汚れが落ちる。石鹸を作ったら儲かるぞって、競って作り始めた時代だと思います」。大野氏は、1905年に曾祖父・小川竹治郎氏が「小川石鹸製造所(現マックス)」を創業した時代背景を語る。
創業から111年の同社は、2つの世界大戦を経験。1945年に空襲によって工場・事務所が全焼して2年後に再建を果たすなど、時代の荒波を乗り越えてきた。小学校などでよく使った、あの「レモン石鹸」も同社が開発したものだ。
長い歴史を持つ企業を率いる大野氏だが、伝統に敬意を払いつつ、必要以上に振り返ることはしない。そこには、危機にあった会社を、自らの貴重な体験をヒントにして全社で改革に取り組み、再建へ向かったという自信が表れている。
その体験が訪れたのは2009年。社長に就任して間もない大野氏が、突然の子宮がんにより入院。その後、肺、首の骨など計4回の転移を繰り返し、一時は医師にステージ4の診断を受けるなど深刻な病状に陥る。
それでも「絶対にあきらめない」という強い意志を持ち続け、「医師による表面化した病がん巣の除去」と「自らの徹底した食事療法による体の構造改革」により、奇跡的に病を克服した。
一方で会社の業績は、社会のライフスタイルの変化で主力商品であるお中元お歳暮のギフト用石鹸が年々落ち込み、固形石鹸の需要も激減。企業の存続を揺るがす危機が迫っていた。大野氏は、2013年に念願の現場復帰を果たしたものの、会社を取り巻く環境は刻々と悪くなり、創業以来なかった赤字転落というまたもや「危機」に直面する。
だが、大野氏の決断は早かった。会社の危機は、闘病と似ていると直感し、2年をかけて「赤字(病巣)を除去するための支出削減」と、「赤字(病)を生まない企業体質をつくる発展的成長への道筋づくり」という2大テーマで改革し回復を遂げた。
その結果、2015年以降は時代のニーズを見据えた新規事業に取り組む会社の「体力」が身につき、闘病時の肌荒れ対策からヒントを得た「素あわ」や独自の特許製法でニオイを洗い流す「柿のさち」などの新商品が次々にヒット。新しい取り組みが好結果に結びついたことで、業績回復にもつながっている。
「がんになった体験が活きたので、“キャンサーギフト(がん患者に届く特別な贈り物)”かもしれません」。貴重な体験により、人々の悩みに寄り添う先代からの企業姿勢が、さらに固まった。時代のニーズの変化に対応できる“臨機応変力”を武器に、これからも商品を通じて消費者の悩みに応えていく。
(取材・文/工藤拓路 写真/内山光)