「仕事は何をするかよりも、誰とするか」約100年、人を大切にする家族経営で乗り越えてきた危機
―「人としてのあり方」を大切にする社風とは?
毎週のように何かしらの勉強会を開催しています。ビジネスの戦術論ではなく、理念や道徳を学ぶ勉強会で、基本的に全員参加。すぐに役立つかどうかは別ですが、結果として、お互いを思いやる風土が生まれ、業績につながっています。
―会社をあげて、親孝行も推奨されているそうですね
「親孝行月間」と題して、毎年4月に全社員に親孝行に使ってもらうための金一封を支給しています。親孝行って思っていても、なかなか実行に移せないじゃないですか。親孝行する人が増えれば安心感が生まれ、お金が循環し、世の中全体にもプラスに働く。そんな考えが根底にあります。
―その社風はどのように生まれたのでしょうか
30年前、当時の会長が突然の病で倒れ、30代半ばだった現社長が看病しました。しかし、看病と経営の二足のわらじで手が回らなくなり、ついに赤字に転落。そこで思い切って決断したんです。「経営は社員に任せて、父の看病に専念する」と。
正直に社員に話し、仕事を任せていくことで、全員が一丸となって新製品の開発や販路を拡大してくれました。ほどなく会長は快方に向かい、業績も回復。赤字は90年の歴史の中で、後にも先にもその時だけ。「正直に話せば社員はちゃんとわかってくれる」。父である現社長の口癖ですね。
―効率重視の経営手法を取り入れたことが、2つめの危機に?
実は、外部から経営者を招いて外資系のマネジメント手法を導入したことがありました。能力や成績を全て数値化してドライに評価するやり方で、一時的には売り上げを伸ばしたものの、うちの社風と全く合わなかったんです。社内がぎすぎすしてしまい、多くの社員が去りました。取引先とのトラブルも多発し、業績も悪化しました。数字だけで社員を評価してしまったことで、彼らの心が離れていったんだと思います。
―家業に入られた経緯は?
当初、継ぐ気持ちは全くなかったんです。子どもの時から「継げ」と周囲に言われて育ち、それに対する反発も強かったんでしょうね。まったく関係ない業界に進みたくて大学でも美術理論を専攻したりして(笑)。最近まで継ぐ気は全くなく、学生時代に立ち上げたIT企業で仕事をしていました。
だから後継者もいないし、外部から経営者を招き入れる準備してたわけですが、能率効率を重視する制度を取り入れて次々に起こるトラブルを見て、改めて自分たちが長年築いてきたものの価値に気づかされたんです。ものづくりへの姿勢も社員を家族のように思いやる風土も失くしたらあかんと。でもやるんなら、きっちり中に入ってやっていこうと。そんな思いで3年前、家業に入る決意をしました。
―次の次代に受け継いでいきたいことは?
社員、取引先との信頼関係。ある時、「対応が誠実じゃない」という理由から、大口のお客さんと決別したことがありました。売上が大きく下がることが明白でも、誠実につきあえない相手とは商売をやらない、という判断です。とはいえ、私自身もそんな決断をしていけるのか不安な面もありますが、「仕事は何をするかよりも、誰とするか」という気持ちは常に強く持っています。
―今後の展開は?
「先代たちがつくりあげた会社を自分の代で潰すわけにはいかない」、そんな風に考えたことはないんです。会社なんて、何があるかわからないですから。でも社員との信頼関係を大切にしながら守りに入らずいろんなことに挑戦したい。
そのためにも今後は、経営上の数字を公開し、社員と一緒に考える風土をつくっていきたいんです。今までは、どんぶり勘定というか、職人の勘でやってきた部分が多かったので。そこから少しずつ改革して、今後は石鹸メーカーとして培ってきたノウハウを活かして、化粧品分野にも挑戦していきたいです。
(取材・文/北浦あかね)