アナログ商売×I Tで家業から企業へ
いまや国内外に11店舗を展開し、EC事業と併せて売上高66億円を誇るギャラリーレア。2015年から新卒採用を開始し、従業員数は約100名。そのうち1割は外国人スタッフが占めるなど海外市場への本格展開に向けて組織のグローバル化も進めている。
そんな同社の原点は、太田氏の父親が脱サラして始めた個人経営の古物商・太田商会。「小学生時代から学校帰りに親の店に立ち寄り、両親の働く姿を見て育ちました」と振り返る。
毎日夜遅くまで商売に打ち込む真面目な父親のことが大好きだった。母親が一人で店にいる日は学校から直行。「何かあったらあかんと思い、友だちと遊ぶより店番を優先していました」。店は、家族で働く喜びを感じられる大切な場所だった。
小さなころから商売が身近にあったことから、自分で身を立てることに興味があった。大学時代はビンテージ古着をフリマで販売。卒業後は音楽教育の会社に就職したが、クリエイターの道に進んだ友人がパソコンで仕事をしている姿に刺激を受け、「俺もITの世界で身を立てよう」と決意した。
決めたら即行動が信条。ローンでMacを購入し前職を辞めて専門学校でWebデザインを学びつつ、古着の販売をヤフーオークションでスタート。毎月500万円ほど売り上げるようになった。
ちょうどその頃、父親がブランド専門店を新規出店していた。「父の商売にIT業界で学んだノウハウを掛け合わせ、中古ブランド品のネット通販事業を軸に家業を大きくしよう考えたんです」。
専門学校を卒業後はビジネスの仕組みを学ぶためにITベンチャーで働き、2002年の夏に家業のビジネスを本格的に手伝うようになった。その1年後に入籍し、暖簾分けで心斎橋に中古ブランド品の店を夫婦で持たせてもらった。
同じ年に、かねてから構想していた“家業のEC事業化”を実現するために楽天市場に出店しようとしたところ、ブランド品の取り扱いは法人化が必要だと知る。「家業を継ぐなら経営面もちゃんとしたい」。そう思い、内緒で法人化したところ、それを知った父親は大激怒。「勝手に何やっとんねん!と、店の中で取っ組み合いの喧嘩になりました(笑)」。
そんな対立も乗り越えて、時計やバッグなどの中古ブランド品を扱う「ギャラリーレア」を楽天市場にオープン。持ち前のWebデザインの技術とネットオークションの運営スキルを活かし、1年で売上げ1億円の事業に成長させた。
ところが夫婦二人三脚で朝から夜中まで働き詰めの毎日。ある日、ついに妻が家を飛び出した。このままでは家庭が破たんすると感じ、創業以来、初めて家族や親族以外の人材を採用することにした。
とはいえ、名もない小さな会社に入社してくれる人はいない。「妻や私の友人、保険会社で働く妻の友人にまで声をかけました(笑)。この当時のメンバーは、いまでも中核として活躍してくれています」。
社外の人間が参画することで、家族経営の悪しき習慣や甘えが許されなくなり、個人経営からの脱皮が一気に進むことになる。「後輩や友人に来てもらっていたこともあって、ルーズな経営は恥ずかしい、ちゃんとしたい」という思いが強くなったのだ。
「家業から企業に生まれ変わる」。そう決意した太田氏は、社内の変革に乗り出した。親族には退職してもらい、新しくつくった社内のルールを守るよう両親を説得した。親族内で起こるさまざまな軋轢や衝突を収めるのに、体力的にも精神的にも消耗した。特に大好きな両親に自分たちで育ててきた店のやり方を変えるよう我慢を強いたことは辛かった。
痛みの伴う結果となったが、今となっては、「あれが公私混同の前近代的な経営から脱するチャンスだった」と振り返る。
とはいえ今でも家族経営の良さは失われていない。「今も妻や弟と働いていますし、社員同士が結婚して夫婦で会社に残ってくれているケースもありますから」。家族で働く良さを残しながら、会社としての器を整えていく、そのバランス感覚が中小企業には求められるのかもしれない。
先代からは「俺の代で商売をやめる」と口癖のように聞かされていた。太田氏自身も『自分の代できれいに終わる』と思い後を継いだが、会社の規模が大きくなるにつれてそうも言っていられなくなってきた。
現在めざすのは「太田家の会社ではなく、誰もが社長になれる開かれた会社」。IPOも視野に経営管理体制の整備を進めている。
(取材・文/高橋武男 写真/福永浩二)
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