Bplatz press

夢あきらめ、家業へ 社員と自分を変えた行動指針

2015.01.09

高校時代に父親の影響でボクシングを始めた。日本チャンピオンをめざして練習に励み、「アマチュアボクシングの元国体選手だった親父も応援してくれていた」と三嶋氏は振り返る。

201501_mishima_01

ところが大学時代に右肩を怪我し、夢がついえた。卒業後もプロで続ける覚悟を固めていたので就職先は白紙。すると治療食・介護食の卸会社を家族で経営していた父親から、仕入先である新潟の流動食製造のメーカーを紹介された。

何の縁もない新潟。行く気はなかったが、そんな時、ボクシングジムの後輩が試合中に倒れ、こん睡状態に陥った。見舞いに駆けつけた病院で、後輩の体に流し込まれていたチューブの中身が流動食だと初めて知った。それを機に新潟へ。3年の修行を積んで、27歳の時に家業の三嶋商事に入社した。「いずれは継ぐんかな」と漠然と考えてはいたが、図らずも後輩のケガを機に家業を継ぐ道に進むことになった。

ところが入社して3年、父親が亡くなり、突然、経営を引き継ぐことになる。当時の売上は2億円、社員は家族も含めて計4人。先代が亡くなり3人となったが、売上は右肩上がりで多忙を極める。「訳も分からず経営者になり、最初の数年は何をしていたかわからなかった」。

なかでも苦労したのが組織づくりだ。手探りで採用に取り組むも、雇ってもすぐに辞めてしまう悪循環が続く。2008年に参加した後継者育成の勉強会での学びを活かして「地域医療に貢献できる企業になる」という経営理念を掲げるも社員には浸透しなかった。

転機は2011年、ある本をきっかけに社員の行動指針を策定した。しかし、社長とはいえ、若干35歳の若造が考えたことが社員に受け入れられるのか。「初めて社員の前で発表した時の緊張感は今でも忘れられない」という。

結果、同氏の心配は無駄に終わった。社員は自分の仕事に責任感を持つようになり、「ようやく組織として機能し始めた」という。現在、社員数は26名。以前は自分がやっていた営業や配達などの現場の仕事も今ではほとんど社員に任せている。

父から受け継いだのは「感謝の心」と掃除。毎朝、神棚に手を合わせていた父を倣って、今日も社員の安全と商売繁盛を祈願し、毎日の掃除も欠かすことはない。

(取材・文/高橋武男 写真/福永浩二)

【若手後継者のための勉強会】従業員ゼロの家業から100年続く企業へ 2代目社長の理念経営

誌面では紹介しきれなかったロングインタビューはコチラ
→ ボクシングの師匠から、経営の師匠へ――。常に背中を追い続けた父が突然他界、二代目社長の組織づくり。

三嶋商事株式会社

代表取締役

三嶋 賴之 氏

http://www.mishima-s.com/

設立/1988年、従業員数/26名 事業内容/治療食・介護食の卸事業を展開。09年にネットショップ「ビースタイル」を立ち上げ、いまでは卸事業の売上をしのぐ。