笑顔と感動を生みだす花火をつくり続けたい
1950年、家庭用の玩具花火の製造・販売を始めた葛城煙火株式会社。早い時期から欧米向けの玩具花火製造を台湾や中国で行うなど海外展開も行っていた。
三代目社長の古賀さんは学生時代にストリートダンスチーム「EXIST」のメンバーとして、ストリートダンスコンテスト「JAPAN DANCE DELIGHT」で全国2位になるなど活躍。しかし、デビューの目前に大きな怪我をして、プロの道を断念した。その後、興味のあった英語を学ぶためカナダでワーキングホリデーを経験。
帰国後、バブル景気の崩壊で家業の業績悪化を知る。
「祖父が創業した頃は娯楽がない時代で手持ち花火(玩具花火)は刺激的で遊ぶ環境もあり、周りからも文句を言われなかった。景気がよかった頃は私の必要性はなかったが、これからはもっと時代に合った花火が求められる。それなら私が何か手助けできるかもしれない。ダンスで培ったエンターテインメント性と国際的な感覚を活かした花火づくりを手がけてみたい」と家業を継ぐことを決意。
それまで葛城煙火は玩具花火を専門にしていたが、古賀さんは一から打上花火づくり技術習得のため、山梨県の花火会社に2年間修行へ出た。
打上花火の製造は危険物を扱うため常に退避路を確保する必要がある。衝撃や摩擦によって爆発する危険性があるため神経を研ぎすませて行わなければならない。師匠から「花火づくりは人づくり。一瞬一瞬を大切に、真剣に向き合わなければいい花火はできない」と教わった。
修行後は花火大会を主催する全国各地の市役所や商工会議所に顔を出し、少しずつ実績を積み上げていった。そして、「FIRE BRAND JAPAN化計画」を立ち上げる。これまでの玩具花火は海外で大量生産したものが中心だったが国産中心に切り替え、国産ならではの閃光や色が美しい品質の高い花火の魅力を打ち出し、新商品の開発・発売も実施、玩具花火の業績も回復させた。
また、打上花火は花火大会の主催者が求める色や形を提案し、他社にはできない特色を打ち出していった。「ただ単に大きな打上花火を上げるのではなく、音楽に合わせて打ち上げ、音楽の盛り上がりに合わせて花火が開く。そんな魅了させる仕掛けにこだわった。ほかにもワイドに広げたり、複数発打ち上げたりと今までの常識を覆すような葛城煙火オリジナルの打上げ方で主催者の方やお客さまに驚きと笑顔を届けていきたい」。
最近では数多くの花火大会を手がけ、東淀川区の「水都祭」を復活させようと活動するイベントの打上花火も担当。主催者が求める色のオリジナル花火を作って喜ばれた。
その一方で花火師として後進の育成にも力を入れている。
「花火は料理と同じ。材料が揃っていれば作ることはできるが、おいしいかどうかはまた別。いい花火が作れるかどうかは腕次第。花火師は20年で一人前と言われているので、私は今やっとスタートラインに立てたばかり。これからもっと花火の新しい可能性を追求していきたい」と目を輝かせて語ってくれた。
(取材・文/三枝ゆり 写真/福永浩二)
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