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綿花商から再生樹脂加工へ、2つの事業をつなぐ「リサイクル」の思想

2025.05.12

20世紀の幕開けと共に、明治34年(1901年)に綿花商として創業した山一株式会社。その後、樹脂原料の販売、リサイクル加工、繊維原料及び製品販売、樹脂加工品製造へと事業の幅を広げてきたが、その歴史を丁寧にひも解くと、すべて1本の糸でつながる点が興味深い。

創業当時は繊維産業が日本を支えていた時代で、同社は全国の紡績会社に綿原料を販売し、さらに当時は、綿布団が主流であった時代の布団メーカーにも販路を持っていた。ここで目を付けたのが、紡績工場の生産工程から出る、業界用語で落綿という綿の屑だ。同社はこの落綿を回収し、精製して綿布団の原料として再販売していたという。この時点からリサイクルの視点を持ち、事業を展開していたことが、その後の同社の方向性を決定づけることになる。

1960年代に入ると、ナイロンが繊維業界に革命をもたらす。鐘紡(当時)が山口県防府市でパンスト用の6ナイロン糸の製造を開始するが、ナイロン糸の生産過程では一定の割合で不良品が発生し、その処理が課題となっていた。そこで声がかかったのが、以前から綿原料の調達と落綿の回収で取引のあった山一だ。同社は防府に工場を設立し、回収した6ナイロン糸の屑を樹脂原料のペレットに戻す技術を開発。「山一ナイロン」の名で樹脂成形会社への販売を開始した。

「正確な数字は定かではありませんが、当時の工場では月に200トンものナイロンの糸くずが発生していたと聞いています。それまでナイロンを扱った経験はありませんでしたが、当時の経営陣は将来を見据えこの事業に挑んだのです」と現代表の殿谷氏は語る。先代の大英断で設立された防府工場は、今や同社の合成樹脂事業およびリサイクル事業を象徴する存在となっている。

現在、同社は再生ナイロンにとどまらず、汎用樹脂やエンジニアリングプラスチックなど、多様な樹脂素材の製造・販売にも参入。さらに、成形会社とのネットワークを活かして加工・製造の依頼にも対応している。海外にも製造拠点を持ち、金型の製作から樹脂成形、リサイクルまで一貫した対応が可能だ。もちろん、創業時の繊維事業も堅実に守り続けている。

顧客の業種も自動車、建築、電機、衣料、ホテル、病院など多岐にわたる。近年、あらゆる業界で環境負荷の軽減が求められる中、同社が持つリサイクル技術の重要度はかつてないほどに高まっている。この優位性を支えているのが「商社」と「メーカー」の両方の機能を備えた事業基盤だ。そして、その背景には創業から120年以上にわたり、時流を読んで挑戦を続けてきた歴史がある。

このスピリットを受け継ぐ殿谷氏もまた、幾多の困難に挑み続けてきた一人だ。しかし、当の本人は「私はビビリなんです」と笑う。「私が社長に就任したのは、会社の長い歴史の中でも最大の危機の最中で、最初の2年間は眠れない日々が続きました。だからこそ『どんなに歴史のある企業でも一歩間違えれば没落する』という危機感は常に持っています」と語る通り、新たな挑戦は奨励する一方で、承認や撤退の基準を明確にすることにもこだわる。

実際、軌道に乗っている事業でも「ここが潮時だ」と判断すれば潔く撤退することも少なくないという。「中途半端に続ける事業は失敗する」という殿谷氏の言葉は、「承認と撤退の明確な判断軸なくしては、挑戦の土壌は育たない」という教訓を示している。

2020年、同社は創業120周年を記念し、高野山に記念碑を建立。碑には「過去に感謝 未来に希望」の文字が刻まれている。「現在の山一があるのは先人たちが歴史を切り拓いてきたから。その感謝を常に忘れてはいけません。そして私の次の世代、さらにその次の世代の人材が山一の精神を受け継いでくれれば、25年後の150周年に向け更なる発展と成長を続けていけるという確認と希望を持っています。

(取材・文/福希楽喜)

山一株式会社

代表取締役社長

殿谷 茂人氏

https://yamaichi-web.jp

事業内容/繊維原料の販売、石油化学製品の成形・原料販売、金型製作、リサイクル製品の製造販売