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傲慢なふるまいを社員の前で謝罪、今では社員を活かす経営にまい進

2012.10.10

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仕事一筋の父は、とても厳格だった。幼い頃によく聞かされた「経営者は会社をつぶしたら箸と茶碗だけしか残らんのや」の言葉は谷上氏に「社長になることはなんとおそろしいことか」という経営への恐怖心を刷り込んだ。24歳で冨士屋本店に入社した日、社長の父に向かって「親父は一生のケンカ相手や!」と啖呵を切った。「今思えば、経営への恐怖感を乗り越えるためにそうやって自分を奮い立たせるしか術がなかった」と振り返る。

米国の大学に留学した後、同業の会社に就職し、システム化された営業を経験した谷上氏にとって、家業の「営業スタイル、設備、すべてが古くさい」と何かにつけて父に噛み付いた。一匹狼さながらに「営業成績こそがすべて」と新規取引先の開拓に奔走した。いつの間にか、全売上の7、8割を自身が獲得した取引先で占めるまでになった。過信は傲慢さを助長した。会議のたびに父とぶつかった。「売上よりも大事なのは利益率」「人の行く裏に道あり花の山」。まっとうな言葉でも父の口から出たというだけで反論した。社内にはいつも険悪な雰囲気が漂っていた。

社長を引き継いだのは2005年。社長になって2年目の時、売上の1、2番目を占めていた取引先が相次いで倒産した。一気に売上が3割落ち込んだ。1週間食事がのどを通らず、死ぬことも考えた。「社長がどれほど重圧な仕事か初めて悟った」。そんな時、父に勧められた研修に参加した。病で両手足を失った女性が母の厳しいしつけで自立して生き抜いた話を聞いた。「なんて自分は恵まれていたことか。父はすべて自分のことを思って声をかけてくれていたことにやっと気づいた」。涙が止まらなかった。

「親父、これまで間違っていた。ごめん。俺は変わるから」。全社員がそろった会議室で頭を下げた。ふっと肩の荷が軽くなった。社長にしかできないことに徹し、社員に権限を移譲していった。毎朝社員1人ずつと握手をし「おはよう」と声をかける。声の調子や手の握り方が弱ければ何があったのかじっくり対話をする。輸出、小売、卸、健康食品の4部門を今後は独立採算制にし、社員に任せていくつもりだ。大学までラグビーに明け暮れたという谷上氏。今、「One for all, All for one」の言葉をあらためてかみ締めている。

 
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▲「活私相生」
「“自分を活かすには、まず相手を生かすことから”という意味で、今年の目標を決めたときに自然に湧いてきた言葉です。以前は、社員は私の顔色を窺い、みなピリピリしていました。自分が変わると決めて以降、社員を輝かせるためにはどうすればよいかを常に念頭においてきた結果、いきいきとした会社に変わり始めています」。

株式会社冨士屋本店

代表取締役社長

谷上 浩司氏

http://www.fujiya-honten.co.jp/

設立/1957年 従業員数/35名
事業内容/菓子の卸・小売、輸出、健康食品の販売。エリアは近畿2府4県。このほか東南アジアの高級スーパー向けに輸出も増やしている。また独自ブランドで「ヘム鉄」「スギナ茶」「天然ナタ豆」などの健康食品の企画開発・販売も手がける。