熱い魂が伝播する中小企業応援サイト

熱い魂が伝播する中小企業応援サイト

卓越したセンスと新しいもん好きの血で写真業界をリードする

明治天皇の“ご真影”を撮影した九一氏がルーツ

同社の歴史は、幕末・明治期に写真師として活躍し、明治天皇の“御真影”を撮影したことでも知られる内田九一氏に源流を発する。江戸末期の長崎で薬の貿易業を営んでいた九一氏は、西洋から入ってきた写真技術を学び、その後横浜、浅草で写真館を開く。明治政府の高官のほか、歌舞伎役者などの肖像写真の撮影、販売を一手に引き受け、写真業をビジネスとして確立。糸目をつけることなく最高級の輸入資材を使う品質へのこだわりもさることながら、最先端の風俗を写し込み、細部の構図に目を行き届かせる演出のセンスで写真の可能性を広げた。

32歳の若さで没した九一の下で学んでいたのが内田家の本家筋にあたる内田酉之助氏。この酉之助氏が大阪天満宮東隣りの敷地に明治4年に写真館を開設したのが内田写真の創業だ。「大阪造幣局と大阪天満宮は創業時から現在に至るまで取引が続く140年来のお客様」と内田氏。写真撮影がだんだんと一般大衆にとって身近なものになっていくにつれ増えていったのが軍人写真の撮影だ。「戦地へ赴く前、そして帰ってきた後、昇格してもらう勲章とともに肖像写真が撮影されたようです」。第2次大戦が終わるとぱったりと写真の需要が途絶えたが、大量の帰還兵による結婚ラッシュが生まれたことで婚礼写真の仕事が増え、息を吹き返した。同社の歴史は常に世相とともにあった。

常に追い求めるのは新しい営業写真館のあり方

営業写真館として今の会社の基礎を形づくったのは、内田氏の父、5代目の弘男氏だ。写真のカラー化が進むと見るや、1971年には業界でいち早くカラー現像の自社内処理を開始し、1995年にはデジタル製本アルバムの自社生産を開始した。「新しいもん好きの気性は内田家に代々流れる血なんやと思います」。そして、弘男氏がもう一つ業界に先駆けて着手したことがある。労務環境の改善だ。当時の写真業の世界は厳しい徒弟制度が残り、住み込み勤務、長時間労働、低賃金が当たり前になっていた。会社勤務を経験していた弘男氏は、これでは優秀なカメラマンは育たないと待遇改善に踏み切った。
6代目の内田氏は、先代が築いたベースを一気に広げようと15年前に東京にスタジオを開設する。「東京の業界は徒弟制度が根強く残っていました。うちが行けば、腕のあるカメラマンを確保し、質のいい写真を提供する自信があった」。策は当たった。その後、一気に全国にスタジオを増やしていく。

近年、フィルムからデジタル化への移行が一気に進み、変化に対応できない営業写真館の多くが廃業を余儀なくされる中、2004年から2010年にかけて全国30カ所のスタジオのデジタル化を完了。さらにデジタルアルバムの生産体制を強化し、昨年8月には大手カメラメーカーの大型高精細プリンターを導入し、今年5月から本格稼働を始める。「これまでの写真がピンボケかと思うくらいの精細さ」は同社の新たな強みとなりそうだ。

「フィルムとデジタルは全く別物。発想を変えなければ生き残れない」と内田氏。「デジタルカメラは数をとれば技術はある程度カバーできる。技術にプラスして今求められるのは意外感」と言う。「例えば晩婚化が進んでいるが、大人の女性は若い女性と違って写真で表現すべきポイントも異なる。どこまで被写体の気持ちになってハッとさせる写真が撮れるかが問われる」と最近は「男性よりも感性が鋭い」女性カメラマンの採用に力を入れる。

最新の高精細カラー印刷を使った九一氏の作品240点を収めた写真集を5月に発刊する。技術に裏打ちされたセンスと好奇心のルーツがそこには詰まっている。

 

uchida1

▲幕末の写真師 内田九一氏。

uchida2

▲明治天皇の御真影。

uchida3
▲最新ラボ設備。

2013年05月10日
内田写真株式会社
代表取締役社長  
内田 昌彦氏

全国約50カ所にスタジオを持つ営業写真館。従業員210人のうちカメラマンは8割を占める。

読者アンケート
ライター募集 フリーペーパーについて 本サイトについて

今月の町工場で働くオトコマエ

      
Bplatzのツイッター Bplatzのfacebook