【ロングインタビュー】洗いざらい共有し、互いの思いを尊重 不変と革新で「世界一従業員が幸せな会社」へ
◆私の血を分けた息子に委ねてみようと思える(会長)
――経営者としてどんなことに取り組んでいかれたのですか。
社長:千房は創業当時から、不変と革新を掲げ、守るべきものはしっかり守りながら、変えていくべきものは変えていくという姿勢で歩んでいました。例えば新たな取り組みとしてはお好み焼き業態以外の居酒屋も新たに始めましたし、大きなところでは海外事業にもチャレンジしました。
実は父の代で、ハワイ、ニューヨーク、オーストラリアに出店し、このうちニューヨークとオーストラリアは大きな赤字を抱えてしまっていたので、会長はもう海外には出さないと決めていたようなのですが、あらためてアジア市場でチャレンジしたいということをお願いしました。
――どう受け止められましたか。
会長:それはもうハラハラドキドキです。お金は潤沢にあるわけではないので結果も急がないといけません。言いたいことはたくさんありましたけど専務として迎え入れたときから口出しはすまいと決めていましたから、もう耐える以外ありません。
まあ、それでも思っていることの10分の1は言ってしまいますね。本人にとっては辛いことでしょうけど。
社長:私も野村證券時代から上司にとことん盾突いていた人間で、自分を曲げてまで仕事をしたくないと思うほうなので、私もけっこう言ってしまっています。ただ、私も10分の1くらいに抑えて耐えていますが(笑)。
事業承継は先代も後継者もあきらめが肝心だと思うんです。先代の言うことを全否定して自分のやりたいことをやるねんというのはお門違いだし、逆に先代がおれの言うことを聞けというのも間違っています。お互いがリスペクトしながらいい意味であきらめることが大事なんだと思っています。
ただ、私の中では創業者は絶対であり、その考えや理念は揺るがないと思っています。
――結局ベトナム、インドネシア、台湾に出店しました。
会長:海外事業はひと筋縄ではいかないということは私自身が経験済みですから非常に厳しいということはわかっていました。ただ、私のやり方では失敗でしたが、彼のやり方でやれば成功するかもしれません。リスクは相当あるなと思いながらもやってみなわかれへんということで任せました。これはなかなか一般的には通じないのかもしれませんが、最後は、私の血を分けた息子に委ねてみようと思えるんです。
◆異を唱える人がいれば転職してもらっていい(社長)
――一方で守ることについてはいかがですか。
社長:私が入社する5年前から父が始めていた受刑者の就労支援事業がありました。会社全体が一丸となって取り組んでいるのかと思っていたのですが、先ほどの幹部との交流会で「社長の前では口が避けても言えないけど本心ではやめてほしい」という意見が大半だったのです。
会長:実は、専務として迎え入れたときに、彼に引き継いいでいいのだろうかと思っていたことがそれでした。私自身、創業来経歴不問で採用を続け、そのなかで多くの人が驚くほど変わり、成長するのを見てきました。そのような思いも踏まえ、2009年から始めた事業です。
ただ、実際に採用をしてみると成功例ばかりではなく、失敗例も数多くありました。数字で物事を判断する世界で働いてきた専務がどう思うか不安でした。
社長:創業当時からそれぞれの過去を問わず社員を育ててきた父のやり方は千房の人材育成の根幹となっており、これは守るべきものだと思いました。
交流会後の開いた全国店長会議の場で、受刑者の就労支援事業は千房のCSRの柱であることを宣言し、これに異を唱える人があれば転職してもらってよいと言いました。その代わり、支援は現場任せにせず本社でバックアップすることも伝えました。
会長:感激しました。そこからです。何の迷いもなく受刑者の就労支援事業に取り組んでいけるようになったのは。社員からの批判も一切なくなりました。
社長:今私は毎月刑務所に通って受刑者の相談員の仕事をしています。これまでに何百人もの受刑者に接し、それぞれがどのような生い立ちでどのような思いで出所していっているのか聞いたことを社内にフィードバックしていますし、今では店長や一緒に働く社員が受刑者の面接にも直接出向いてくれるようになりました。
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