アルバイトから32歳で社長に、幸せの塊さらに大きく
ソウル五輪体操男子団体銅メダルの池谷幸雄、西川大輔、アテネ五輪体操男子団体金メダルの米田功、鹿島丈博、冨田洋之らを輩出したマック体操クラブ。
一流選手を育てることができた根底には「クラブを幸せの塊にしたい」という創業者で現理事長である谷氏の信念が貫かれている。
同クラブは学校法人桃山学院の地域貢献事業として、子どもの遊び場、学びの場を広げようと始めた英会話教室、体操教室を母体に1972年に設立された。
谷氏は「事業として続けていけるのか不安だった」と当時の心境を吐露する。
苦境の中でも常に徹底してきたのが「子ども、保護者、社員すべてに対し目を見ながらあいさつをし、話すこと」だ。おのずと選手・保護者と指導者の信頼関係がはぐくまれていく。
「一流選手になる子は、1日も休まず、まじめに一生懸命に続けるところが共通点です」。
社内の人間関係においても同じだ。
アルバイトにも臨時ボーナスを出し、社員登用の道を用意した。
あえて休館日を週2日設け、スタッフが必ず専任の教室を担当できるようにすることで一人ひとりに行き届いた指導ができるよう体制を整えている。
見原氏も22歳の時にアルバイトで採用され、1年で社員になった。「アルバイト時から社員さんが包むような温かさで接してくれやりがいを感じた」という。
そのような雰囲気の中で各拠点を任せられる人が育ち、いまや教室は大阪市内に9つに。
広告も出さず口コミだけで会員を増やし続け、子ども向け体操教室では全国トップクラスの規模を誇る。
昨年はコロナ禍で休講を余儀なくされた。
85歳の谷氏から32歳の見原氏に経営のバトンが手渡されたのはその混乱のさなかにあった6月末のこと。
谷氏にはプロ野球界でトレーナーとして活躍する息子がいる。「長男も承継対象者の1人でしたが彼には彼の道がある。なにより社員の中に優秀な人材がいた」と谷氏。
一方の見原氏は「先輩社員がおられる中での指名に正直驚いた」と話す。
厳しい状況が続く中で、トップとしての最初の仕事は、全社員、アルバイトに対し雇用と給与を維持すると宣言することだった。
意気に感じた社員からはさまざまなアイデアが出され、会員向けに野菜を販売する事業にも挑んだ。
「社員がいたから希望と勇気を持てた」と見原氏。目標は設立50周年を迎える2023年に教室を10に増やし、33年には自社ビル体育館をつくることだ。
「そのためにはさらに人に投資をしていく」と社長就任後に社員との個人面談を始め、月1回の研修では「いかに子どもに信頼されるか」をテーマに拠点ごとに発表を行っている。
「目を見てあいさつをし、話をする」ことでできる幸せの塊をさらに大きなものに育てていこうとしている。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)