病に倒れた長男の後を受け承継、不変と革新でつながる父子の思い
――事業承継に至った経緯を教えてください。
会長:後継者として働いていた長男が病に倒れ、野村證券に勤めていた三男に戻ってほしいと希望を伝えたところ、二つ返事で「戻ります」と言ってくれました。2014年7月に専務で迎え入れました。
社長:父には子どもの頃から「従業員が夜遅くまでお好み焼きを焼いて働いてくれているおかげでお前は飯を食っていられるんやで」と言われていました。僕が“家族”として会社を助けるのは当たり前だと思いました。
会長:入社前に彼には二つのことを伝えました。野村證券と千房を比べてものを言わないこと。そして、 全従業員が自分のために働いてくれているということを自覚することです。あとは何をしてもよいと伝えました。
――入社してどんなことに取り組まれましたか?
社長:千房は創業当時から、不変と革新を掲げていました。父が始めた受刑者就労については社内から不満がくすぶっていましたが、創業当時から過去を問わず社員を育ててきた父のやり方こそ千房の人材育成の根幹だと考え、守るべきだと思いました。会社のCSRの骨格と位置づけ、異を唱えるなら転職してほしいと社員に伝えました。
一方で、すでに取り組んできた海外事業は大きな赤字で、父は海外にはもう出さないと決めていたのですが、私はアジア市場でチャレンジすることを決めました。
――どう受け止められましたか?
会長:受刑者の就労については彼がどう思うか不安に思っていたのでほっとしました。私もそれ以降思い切って取り組めるようになりました。海外事業は私のやり方では失敗でしたが、彼のやり方でやれば成功するかもしれないと思い、任せました。
彼の決めたことに口出しはすまいと決めているのですが、やはり思っていることの10分の1は言ってしまいます。ただ、最後は私が血を分けた息子に委ねてみようと思えるんです。
社長:私も自分を曲げてまで仕事をしたくないと思うほうなので、けっこう父には言ってしまっています。私も10分の1くらいに抑えて、耐えています(笑)。ただ、創業者は絶対であり、その考えや理念は揺るぎません。
――社長交代したのは創業45周年の2018年でした。
会長:50周年の節目に当たる2023年をめどに交代しようと思っていたのですが、それまで彼が見事なまでに絶えず報告、連絡をし、そこまで言うかというほど小さなことでも相談してくれ、信頼し切ることができたので5年早く任せることにしました。
――ここ1年はコロナ禍で事業にとっては大きな逆風が吹きました。
社長:昨年の3月にメールで全社員に「私は自分の命に代えてでもみなさんをお守りします」と伝えました。1年で5店舗を閉鎖した一方、昨年12月にはイニシャルコストを抑えた初の郊外型店舗を岐阜県にオープンし、順調な滑り出しとなりました。
――会長から社長にこれだけは守り抜いてほしいということがあれば教えてください。
会長:従業員が胸を張って働いてくれるかっこいい会社にしてほしいですね。
社長:会社の規模を大きくしていこうとは考えていません。世界一従業員が幸せな会社を作るのが目標です。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)