【ロングインタビュー】洗いざらい共有し、互いの思いを尊重 不変と革新で「世界一従業員が幸せな会社」へ
◆信頼し切ることができた、だから5年早く委ねました(会長)
――普段お二人はどのような場でお互いの意見や思いをお話しされているのですか。
会長:彼が入社して以来、よほどのことがない限り毎日お昼ごはんを一緒に食べています。入社してきた頃、彼にたまたまお昼ごはんどうするのって聞いたら、連れて行ってくださいという感じだったので。いやいや来る雰囲気を感じれば私も誘わないのですが。
社長:従業員にも、創業者と一緒に働けるなんてむちゃくちゃ幸せなことなんやぞ!と言っています。本田宗一郎や松下幸之助と一緒に働けるかい、と。私にとっては父と一緒にいる時間は大切な時間です。だからお昼ごはんの時間の中で、だれと会ってどんな話をしたのかということもそうですし、判断に迷うことがあれば、どうすればよいですかと相談します。そうするとズバッと答えが返ってきます。
会長:彼と社長を交代したのは創業45周年の2018年でした。当初は50周年の節目に当たる2023年をめどに交代しようと思っていたんです。
5年前倒しで交代した決め手は、彼が見事なまでに絶えず報告、連絡をし、そこまで言うかというほど小さなことでも相談してくれたからです。それだけやり取りしていると彼の物差しも動きもよくわかるので、すっかり信頼しきることができました。だからもういいだろうと。
◆世界一従業員が幸せな会社をつくることが目標(社長)
――ここ1年はコロナ禍で事業にとっては大きな逆風が吹きました。
社長:昨年の3月の半ばにメールで全社員に「コロナで不安に思っているかもしれませんが、私は自分の命に代えてでもみなさんを守ります」と伝えました。
会長:彼にバトンを渡してから一番教えたくても教えられなかったことがあります。お金のことです。経営者として一番大事なことですが、お金の苦労だけは理屈では教えられないし体験しないとわかりません。
銀行との交渉ごとは彼に一切を任せているのですが、今般のコロナ禍の苦境の中で銀行との折衝を見事にやってのけただけでなく、自分だったらそこまでできないなと思うことまで決断して実施していることにすごいなと思いました。
社長:野村證券では14年間、法人と社長個人の資産運用を担当していました。そのなかで資金繰りで苦しんでいる企業も見てきたので、コロナに直面してからいの一番にお金のことで動き、銀行の支店長にありのままの状況を伝えて、対策を取りました。
――足もとの事業展開についてはどのように考えていますか。
社長:コロナ禍後、5店舗を閉鎖しました。一方で昨年12月には新業態における店舗のモデルとしてイニシャルコストを抑えた初の郊外型店舗を岐阜県にオープンし、順調な滑り出しとなりました。3月には埼玉県越谷市にも2店目を出店します。
――会長から社長にこれだけは守り抜いてほしいということがあれば。
会長:私はあるご夫婦がやっているお好み焼き店を継ぐように押し付けられて始めた経緯があり、当初はお好み焼きを経営するのが大嫌いだったんです。でも、経営者でさえ嫌だと思っている会社に従業員が集まってこないのは当たり前です。そこから従業員が胸を張って働いてくれるかっこいい会社にしたいと思うようになりました。
事業は流行りすぎてもいけないし、かといって流行らなくてもいけません。その辺の塩梅を考えながら、地に足つけ、目の前のことにしっかりと当たっていってほしいと思っています。
社長:会社の規模を大きくしていこうとは考えていません。それよりも働いている従業員がやりがいを持っていきいきと働ける場所をつくりたいと思っています。世界一従業員が幸せな会社を作るのが目標です。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)