ロングセラーのパインアメ、愛あふれるコラボが続々
丸くて真ん中に穴がある可愛い形と甘酸っぱい味わいが老若男女に愛される「パインアメ」。戦後、初代社長が「世の中に足りないものは甘い食べ物だ」と1948年に創業。
当時パイナップルの缶詰は高級品だったので「その美味しさを気軽に味わえるように」と開発した。
パイン缶の味とパインの形にこだわった第一号は、瓶詰めで1粒1円。まだ技術的に難しく穴はなかったが「飴に穴を開けないと完成品じゃない」と一つひとつ手作業で穴を開けて製造した。2年後に自動キャンディ穴開け機を完成させ、現在の原型ができた。
一方で販路開拓は苦労の連続で、問屋へ売り込むも門前払い。なかなか取り扱ってもらえなかったが、何度も通い「絶対売れる」と商品を信じて売り込んだ。
徐々に関西から西日本のスーパーや駄菓子屋に流通するようになり、販路を広げた。1955年頃から関東に模倣品が出回り、「本物を味わってもらいたい」と東京へ進出。百貨店にあるお菓子の回転台に商品が展示され、爆発的なヒットとなり、一気に全国へと拡大した。
その後、企業名をパッケージに印刷したパインアメが作れないかと1963年よりPRキャンディを開始。多数の企業から採用された。
ロングセラーとして人気を誇るが、2002年に全品回収という会社存続の危機も訪れた。製造段階に使用する油に認可されていない成分が入っていたのだ。メーカーからの連絡を受けて即全品回収を決め、社告を行った。
全国から叱咤激励の手紙が届き、問屋からも「パインアメがなくなると困る。私たちが売るから作るのを頑張りなさい」と支えられ、翌日から製造を開始し、誠実な対応で信頼を回復させていった。
2011年に神戸屋とのコラボで「パインアメパン」「オレンジアメパン」を販売したことをきっかけに、現在は数多くの企業とのコラボ商品も展開。バウムクーヘン、ソフトクリームなど食品のほか、雑貨や洋服もあり、どれも企業からの依頼で始まっている。
条件は「パインアメ」の味わいや懐かしさを守ってもらうこと。「各社様からパインアメへの愛にあふれたご提案をいただいています」と井守氏。
しかし、関西での認知度は高いが、関東ではまだ知らない人もいるため、8月8日を「パインアメの日」とし、PR活動やSNSにも力を入れている。遊び心あふれたクスッと笑えるツイートで、フォロワー数は約12万5000に増えた。
可愛い形と美味しさに加え、おちゃめな発信力やPR活動で、これからも愛されるパインアメをめざしている。
(取材・文/三枝ゆり 写真/Makibi)