どんなに高い壁も登りきる、それが面白い
近年、「ボルダリング」をはじめとして注目され愛好家が増えているフリークライミング。各地にジムができ、2020年の東京オリンピックではスポーツクライミングが正式種目に。
約30年前からクライミングジムを運営する林氏は、日本に屋内クライミングを広げてきた先駆者だ。「遊びでやっているから続いてきたんです」。
柏原市出身。信貴山や大和川を遊び場に育ち、中学生の頃、山でロッククライミングをする社会人グループと出会う。「初めて岩を登らせてもらったら、『落ちたら死ぬ』という恐怖と背中合わせの面白さを感じ、ハマりました」。
高校、大学とのめり込み、一般企業に就職して1年目、山岳競技クライミング部門の国体選手に選ばれて総合優勝。寄稿していた山岳雑誌の編集部から、ビルの窓拭きをするクライマーの話を聞き、会社を辞めて東京へ。無給で高所清掃のノウハウを学んだ。
1988年、大阪に戻ってオーシーエスを創業。最初は認知度も仕事もない。新聞やテレビに声をかけてデモンストレーションをしたところ、話題を呼び、依頼につながるようになった。
クライマーとして培った技術を用いれば、ゴンドラを下ろせず、足場も組めないような特殊な形の建造物でも、ロープひとつで必要な場所に向かうことができる。危険な場所ほど単価は高い。
「一般の清掃会社では100%できないことが、クライマーの自分たちには100%できる。自信を持っています」。清掃業は今に至るまで同社を支える収益の柱だ。著名なタワーや建築物も手がけており、清掃だけでなく高所作業や鳥害対策も請け負っている。
同時期に始めたのが、クライミングウォールの製作。窓拭きは雨だと作業ができず、スタッフが事務所に集まって時間を持て余す。「全員クライマーなので、倉庫の壁をクライミングウォールにすれば面白そうだと思いつきました」。
クライミングは山でするものだった時代。アメリカやヨーロッパの会社に手紙を書き、資料やサンプルを取り寄せて研究。材木や塗装業者の協力も仰ぎながら試作を重ねた。完成したウォールの強度は高く、自社工場での製造から設計、取り付けまですべてをこなす。
1989年には、日本初となるインドアクライミングジム「CITY ROCK GYM」も誕生。一般の人々にクライミングの楽しさを伝えてきた。「壁一枚で誰もが遊べる」と、子どもや障がい者向けのイベントも実施している。
「山では死にかけたこともあれば、人を助けたこともある」という林氏。登った先の景色が見たいという冒険心と、命をかけた遊び。事業を引っ張っているのは、生粋のクライマー魂だった。
(取材・文/衛藤真奈実 写真/福永浩二)
株式会社オーシーエス
代表取締役・クライミングプロデューサー
林 照茂氏
http://www.ocsweb.net
http://www.cityrockgym.com
事業内容/登山家による外壁クリーニングなどの特殊高所作業。クライミングウォールの設計・製作・販売・取付、クライミングジムの運営