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【ロングインタビュー】常に背中を追い続けた父が突然他界、二代目社長の組織づくり。

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日本チャンピオンをめざしていたボクシングの夢が断たれて家業へ。ところが入社3年後に先代の父が他界し、訳も分からず会社を引き継ぐことになってしまった。それからは経営に組織づくりに悪戦苦闘の日々。とりわけ採用と人材育成に苦労するなか、経営理念の策定を機に会社の目的を明確にして、社内の結束力を高めていった。突然の世代交代で家業を継いだ若手二代目、組織づくりの奮闘の一部始終――。

―家業に入られた経緯をお聞かせください。

いま私が代表を務める三嶋商事は先代の父が1982年に興した会社で、治療食・介護食専門の卸事業を行っています。父はものすごく厳しい人で、子どもの頃の印象は「常に怒っている人」。怒りがマックスに到達すると、木刀を持って怒鳴りつけることもありました。そんな父なので人に雇われるのは向いてなかったんでしょう。私が9歳のときに独立し、母親と二人三脚で事業を営んでいました。

子どもの頃の私は、納入先に配達に出向く父の車によく乗せてもらっていましたね。大学生になって車の免許を取得してからはアルバイトで配達を手伝ったこともあります。こうした環境で育ったので、「いずれは継ぐんかな」と漠然と考えていた一方、決められたレールに乗った生き方はしたくないという複雑な心境でした。

なぜならやりたいことがあったからです。それは高校時代に父親の影響で始めたボクシングです。高校の3年間だけ続けようとジムに通い始めましたが、いざやってみると面白くて虜になったんです。父親はアマチュアボクシングの元国体選手で、ジムや朝のロードワークについてきてくれたり、アマチュアの試合でセコンドに入ってくれたりと、当時の私にとって父はボクシングの師匠のような存在でした。

そんな父親を追い抜きたい一心でボクシングに打ち込み、大学進学後はプロに転向。以降は日本チャンピオンをめざしてトレーニングに励み、念願のプロデビューも果たしました。ところがプロ転向1戦後に右肩を怪我してしまったんです。4度の手術を経てドクターストップがかかり、夢がついえました。

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大学卒業後もプロを続ける覚悟を固めていたので就職活動なんてしていません。どうしようかと考えていたところ、父親から仕入先である新潟の流動食製造メーカーの会社を紹介されたんです。「なんで新潟? 何のこっちゃわからん」と行く気はなかったのですが、ある出来事がきっかけで気持ちが変わりました。

ちょうどその頃、弟のように可愛がっていたボクシングジムの後輩が試合中に倒れて意識を失い、病院に担ぎ込まれました。見舞いに駆けつけると口にチューブがつながれていたので、「苦しそうなんでとってやってください」と看護師さんに詰め寄ったんです。すると流動食を流しているので絶対に外してはいけないと。いま考えると当たり前の話ですが、流動食というものをその時初めて知りました。これを機に父親の仕事が医療現場で貢献していると知り、「この仕事をもっと勉強したいと」と新潟の会社に就職することにしました。

受け入れ先の会社にとって、私は得意先の息子です。先方の社長さんは事情を理解されていますが、現場の社員にとっては「得意先の御曹司がやってきた」というような捉え方でした。親父に恥をかかせたくなかったので、認めてもらえるよう必死に努力しましたね。そして修業を終えた2000年、27歳で家業の三嶋商事に入社しました。

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―家業では主にどのような仕事を?

私が入ったときは社外の人を含めて社員は3人でした。そのうち社外の人が病気を患っていたので引退され、代わりに私の友人を引っ張ってきて働いてもらうことになりました。仕事は順調で人手が足りず、母親が担当していた会計以外、配達から営業、仕入、伝票整理まですべての業務を行っていましたね。

ところが入社3年後に突然父親が亡くなり、経営を引き継ぐことになったのです。当時の売上は約2億円、先代が亡くなり社員は3人になりましたが、売上は右肩上がりで多忙を極めました。訳も分からず経営者になり、最初の数年は何をしていたか記憶も曖昧になるほどの状態でした。

なかでも一番苦労したのが採用活動です。それまで人を雇った経験はなく、自分も就職活動をしたことがなかったので、恥ずかしながらハローワークの存在すら知らなかったんです。そのような状態で採用活動を手探りで進めましたが、人を雇ってもすぐ辞めてしまう状態が続きました。

父親は仕事にも厳格で、家族に厳しく当たることがよくありました。私もその経営方針を受け継いで、つい言いすぎていたのかもしれません。また父親は工場内の整理整頓や掃除にも厳しい人で、商品を入れた段ボールの扱いにもこだわりがありました。そうした面も受け継いでいたので、社内の経営方針を知らずに入ってきた人はついてこられなかったんだと思います。

しかし最大の問題は、採用活動のやり方自体にあると感じていました。当時は面接をしても何を質問するでもなく、採用基準もなにもなく、「まあこの人なら大丈夫とちゃうか」という程度の判断で雇っていたんです。だから会社が求める人材像と働く側の意識にミスマッチが生じていたんだと思います。

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2015年01月09日
三嶋商事株式会社
代表取締役  
三嶋 賴之 氏

治療食・介護食の卸事業を展開。09年にネットショップ「ビースタイル」を立ち上げ、いまでは卸事業の売上をしのぐ。

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