【ロングインタビュー】得意分野を補い合いながら、日本のものづくりの魂を守り抜く
主にメイドインジャパンの靴下を「靴下屋」をはじめ、全国約300カ所の店舗で販売するタビオ株式会社。創業者の越智直正会長から2008年にバトンを託されたのが長男の越智勝寛社長だ。気負うことなく自然体で、それぞれの得意を生かしながらものづくりを守る。
―社長は、はじめから継ぐつもりでいたのですか。
社長 いずれは父の会社に入ろうと思っていました。就職する年になったので、母と、「父に相談しないと」と話していて。結局、化粧品の製造・販売をしているハウスオブローゼという会社で4年半修業してから入ったんです。
会長 僕はね。息子がものごころついたときから「継がなあかん」と言い続けてました。だから25歳までは好きなことせえ、言うてました。
―反発する気持ちはありませんでしたか?
社長 むしろラッキーだな、と。イチローの息子というだけで大リーグのチームに入れないでしょう。たまたま父が事業を起こして、それをさらに大きくできる機会をもらえるなんて、ありがたい。自分の親の会社ですからね。継ぐというより、手伝うという感覚です。今でもその気持ちは変わらないですね。社長という役割を遂行している感じです。
―就職はどう決めたのでしょうか。
社長 選択肢はいくつかありましたが、ハウスオブローゼは売るほうにこだわりがある。会長はものづくりが得意ですから、ぼくは売るほうを学ぼうと。
ハウスオブローゼがちょうど店頭公開するタイミングのときだったので、いろいろ勉強になりました。タビオも上場を視野に入れていましたから。
4年半のうち3年は店頭で化粧品の販売員をしましてね。今でも接客時のクレームが夢に出てくるほどしんどかったんですが、店頭起点で考える癖がついたのはありがたかったですね。それから本部と店頭の距離をどうとるべきかということを考えさせられました。それは今にもつながっています。
―個性の強さで会社を引っ張ってきた会長から、バトンを渡されることのプレッシャーは大きかったのでは。
社長 会長と同じようなリーダー像をめざすならプレッシャーかもしれませんが、そうは思いませんでした。まわりもそんなことを期待していませんでしたし、僕まで会長みたいな人間だったら社員もしんどいでしょう(笑)。むしろ会長が苦手なところを僕がやらなきゃなあ、と。会長が今でも一番苦手なのは株主総会とIRでして。これについては僕が部長の時代には引き継いでいました。
会長 僕かて、あんたの真似しようと思ったってできないんだから、お互い得意なところでやったらええ、ということは伝えたことがあります。真似ではいつまでも追いつかないやろし、大きくならん。個性を大事にしたらいいねん。
―販売戦略で大切にしていることは何ですか。
社長 タビオはどこまでいってもものづくりが基盤で営業はあとづけの会社です。だから僕は営業には、商品部(MD)のピンチは営業が救えと常に言っています。だから、いい商品が出てこないから売れない…というようなセクショナリズムの発想だけは一切許しません。そんなことを言うなら店、営業はいらないでしょう。売れない商品でも売れるようにするのが店であり営業ですから。
―2008年5月に社長に就任されました。
社長 39歳のときでしたが、早いとは思いませんでした。むしろチャンスだ、と。役員に昇格したときからいつでもそのつもりで仕事をしてきましたから。
―会長はどのような思いで委ねたのでしょうか。
会長 僕はね、ほんまは社長させるのはかわいそうやと思ってたの。普通に考えたら社長なんてええことない。会社の総責任者やから箸が転んでも社長の責任でしょ。そのころは売上的にもちょうどいいくらいやった。彼が経営者の練習するのにはちょうどいい規模やといって社長になってもらいました。事業引き継いでくれるだけでもじゅうぶんやと思ってます。普通はやれへんもん。自分の魂を伝承してくれるのは息子やと思った。逃げられたら困ると思ってましたね(笑)。
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タビオ株式会社
代表取締役会長 越智 直正 氏、代表取締役社長 越智 勝寛 氏
メイドインジャパンを主とした靴下の企画・卸・小売。靴下専門店の「靴下屋」「ショセット」「タビオ」を展開する。