「家業を絶やせない」。その思いは次の世代に
かかとをなくし、伸縮性の強い糸で編み込むことで、どんな足にもぴったり吸い付くフィット感を生み出した筒状の靴下「つつした」。今やネットショップや百貨店で大人気のこのユニークな靴下を手がけるのが樋口メリヤス工業だ。
創業は1933年で、現社長の祖父が軍手・軍足の製造工場を興したのが始まり。しかし創業者は45歳という若さで急逝し、その後は創業者の兄が2代目、親族以外の第三者が3代目、現社長の父、和夫氏が4代目を守り継いだ。
「でも実は、父にはほかに夢があったんです」。現社長で6代目を務める中江氏は打ち明ける。創業者が亡くなったとき、その子息にあたる和夫氏は大学生で外交官をめざしていたという。
だが創業者が病に倒れ、親族や第三者がバトンをつなぐなか、和夫氏に白羽の矢が立った。「結局、父は外交官を諦めて大学を中退し、家業を継いだんです」。
その経緯を聞かされて育った中江氏は、「父が夢を断ってまで守り通したこの会社を絶やすわけにはいかない」と大学卒業後に入社。「歴史を守る責任感」からの決断だった。
ところがその後、売上げの9割を頼っていた取引先のトラブルで億に近い負債を抱え、会社を閉めるか、続けるかの二択を迫られた。中江氏は存続をかけてパートの仕事を内職に切り替えるといった改革を次々繰り出したが、頼りの父が心労でうつ病を発症してしまう。
同氏の夫が5代目を継いだものの、「夫は『借金を返すための人生じゃない。工場と自宅を売却しよう』と主張し意見が分かれてしまって」。最終的にやむなく離婚を決断し、中江氏が6代目を継いだ。「祖父の代から続く創業地(自宅)だけは、どうしても手放せなかったんです」。
その後、30台の織機を導入していた工場は閉鎖する一方で、自治体が運営する創業支援施設に営業所を開設。さらに補助金を活用して自宅の一角に工場を開設し、知り合いに預けていた織機4台を並べて再スタートを切った。
そして現在の樋口メリヤス工業を支えるのが「つつした」だ。4代目までは量販店向けの大量生産品を手がけていたが、繊維産業が縮小する中で生き残るにはオリジナル商品を展開する必要があると判断。創業以来の顧客の声を集約し、中小企業診断士などのサポートも得ながら4年前に開発に成功した。
昨年には大手人材会社とコラボし、167人のクリエイターの着想をもとに167種類の「つつした」をつくる企画にチャレンジ。その展示会本番を見学した中江氏の次男で現大学2回生の光希(みつき)氏は今、自身のオリジナルブランドを立ち上げるべく、授業の傍らデザイナーと共に百貨店の催事に向けて準備を続けている。
「息子たちには好きな人生を歩ませようと育ててきたのですが」と話す中江氏に対して、「曽祖父が立ち上げ、母が守り継いだ家業はやっぱり絶やせない」と光希氏。「展示会を見て『つつした』の可能性を感じ、後継者として意識し始めてくれたんだと思います」(中江氏)。
一方、アメリカの大学に留学中の長男の和喜氏も「海外に出たことで日本のものづくりの良さを再認識し、いずれ会社を継ぎたいと言ってくれているんです」と、息子たちの思いに驚きながらも心強さを感じている。
父の思いを受けて家業を継いだ6代目のバトンは、新たに2人の息子に引き継がれようとしている。
(取材・文/高橋武男 写真/Makibi)