日世株式会社:日本にソフトクリーム文化を根付かせたパイオニアの挑戦
ソフトクリームといえば世代を問わず愛される冷製スイーツの代表格。しかし、日本のソフトクリームが大阪で誕生したと知る人は少ない。
時は1951年にさかのぼる。戦後、貿易商からスタートした日世がアメリカのソフトクリームを初めて日本に紹介、第一次ブームは百貨店の大食堂から始まった。当時、百貨店の大食堂といえば、ハレの日におしゃれして出かけるところ。かけそば一杯が15円の時代にソフトクリームは一つ50円。高級感満載のデザートはじわじわと全国に浸透していった。
人気が高まる一方で苦労もあった。当時、原材料は輸入と外部生産に頼っていたため、欲しいものが欲しいときに手に入らない。刻々と増える注文を断らなければならないという苦悩の日々が続いたという。そんな供給難を打破すべく、同社は原材料の自社製造に乗り出した。
特にコーンカップの品質にはこだわった。溶け始めたクリームが染み込みにくい表面加工と、内部に気泡が均一に保たれる工夫をほどこしたコーンは、表面がカリッと内側がサクッと焼き上がり、最後までクリスピーな食感を味わえる。現在でも「コーンといえば日世」と言われるほどのクオリティを長く保ち続けている。
そんな中訪れた第二次ブームが1970年の大阪万博。会場内に約200台のフリーザーが設置され、歩きながらソフトクリームを食べる来場者たちがメディアに映し出された。それを機に爆発的に広がった。
実は、企業名が表に出ていないだけで、私たちは同社の商品を意外に多く口にしている。観光地の売店で、ショッピングセンターのフードコートで、高速道路のサービスエリアで。コンビニやスーパーで購入するアイスクリームもしかり。同社は多くの小売店やOEM供給を通じて消費者とつながっている。
4年前、新商品のプレミアム生クリームソフト「CREMIA(クレミア)」を発表した。乳脂肪分は従来最高グレード品の1.5倍。焼き菓子で人気の高いラングドシャを用いたコーンで全てに上質感を追求した商品だ。
ソフトクリームは数十年以上、カタチや提供方法が変わらない。もっと新しい価値を生み出したいという思いからスタートし、SNSでじわじわ広まりブームを引き起こした。品質を守りながら価値を上げていく、日世の進化系ソフトクリームである。
(取材・文/荒木さと子)
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