女性の肌の悩みを解消し、美しくなる手助けがしたい
1885年に創業した桃谷順天館を母体とする明色化粧品。化粧品メーカーとしての第一歩は、ニキビに悩む妻を助けたいという創業者の想いから始まった。東京帝国大学(現 東京大学)で先端の西洋医学を学び、生まれたのがサリチル酸を用いた塗布薬。キレイになった妻を見た人のクチコミで広まり、「にきびとり美顔水」として販売するようになった。
「にきびとり美顔水」はニキビに特化した“薬”だったが、より多くの女性の美しくなる夢を手助けしようと“化粧用美顔水”の開発に着手。1932年にはメイクを落とす油分を含んだ画期的な「明色クリンシンクリーム」が誕生した。濃い化粧が主流の時代、油成分入りクレンジングの先駆けとして大ヒットに。
その4年後、日本初の弱酸性化粧水である「明色アストリンゼン」を発売。肌は石けんで洗うとアルカリ性に傾いてしまうが、それを素早く弱酸性に戻し、その後の化粧品を浸透しやすい状態にする。「肌を整えること」と定義づけてつくられた「アストリンゼン」は、このバッファ効果で製法特許も取得。
印象的なキャッチコピーやスター女優を広告に起用し、圧倒的な認知度で世の女性たちに受け入れられた。以来、乾燥肌や混合肌向けなどバリエーションも追加し、今ではシリーズ累計5億本の販売実績を誇るロングセラーになった。
しかし、長い歴史の中では苦難の道もあったという。1990年代には価格競争の激化と共に、マーケット自体が大きく変化。化粧水にプラスαの機能が求められ、初代アストリンゼンはついに廃番になってしまう。
その頃から企画開発部門に身を置く瓜野氏は「大先輩から、いつか復活させてほしいと処方を託されました」と当時を振り返る。中身には自信がある。そこで現代人に使ってもらえるシーンや用途を考え直したのだ。顧客のメイクアップをする機会もある瓜野氏は、当時、毛穴が詰まり、化粧乗りの良くない肌が増えたと感じていた。
初代アストリンゼンは「毛穴をケアし肌トラブルを防ぐプレ化粧水」という役割を見つけ、こうして「明色スキンコンディショナー」として装いも新たに再発売した。
「肌トラブルに悩む人を助けたい」。その思いは創業から130年が経っても変わらず受け継がれている。
(取材・文/衛藤真奈実)
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