≪講演録≫OSAKA創業フェア2017 基調講演① 串カツ田中
《講演録》2017年2月10日(金) 開催
OSAKA創業フェア2017 基調講演
飲食店経営のどん底 も味わった社長が大阪伝統の味を東京に売り込み起死回生!創業7年で上場した「串カツ田中」の成功戦略とは?
株式会社串カツ田中 代表取締役社長 貫 啓二 氏
大阪伝統の味を掲げる「串カツ田中」は、関東を中心に138店舗を展開する串カツ専門居酒屋。大阪ではアメリカ村や土佐堀、堺、岸和田に出店する。1号店オープンの7年後に東証マザーズ上場を果たし、いまや年間40億円の売上げを生む企業に成長。事業清算目前の苦しい時期もあったという貫社長が、「串カツ田中」の成功戦略について語った。
堀江のデザイナーズレストランの成功で東京へ進出
私は、大阪の水無瀬で生まれ育ちました。高校卒業後、トヨタの物流会社で約10年間オペレーションを組む仕事につき、企画や運営、支払いなどを担当。22歳で結婚して子どももいたので、休日になると小遣い稼ぎにイベントを開催するようになりました。
自分もお客様も楽しめるイベント運営を通して起業に興味をもつようになり、しばらくかけもちで高槻のバーで無給で働かせてもらってからトヨタを退職。大阪・アメリカ村にショットバーをオープンしたのは27歳のときです。
このショットバーのアルバイト第1号が、「串カツ田中」の現副社長の田中でした。彼女に「このままではダメだ」と言われ、一念発起して、堀江にデザイナーズレストランをオープン。これが成功し、東京の表参道にも出店します。
リーマンショックで倒産の危機に串カツのレシピを発見
東京と大阪のレストランは人気店になっていたものの、2都市での店舗管理に苦戦し業績が悪化。2008年リーマンショックの年に、負債が約8千万円あるなかで、キャッシュが完全にまわらなくなった。表参道店のお客様単価は1万2、3千円で、9割が接待利用、支払いの99%がカード。それが、リーマンショックで接待がピタッと止まったんです。私の財務戦略にも大きなミスがありました。
弁護士に「そろそろ倒産を考えたい」と相談したら、逆に「倒産するのに弁護士費用が1千万くらいいるけど大丈夫?」と言われました。そのときは、まだ約1千万円の資金があったので、半年はもつだろうという状態。
西成区出身の田中からは、「父親のおいしいレシピがあるので、串カツ屋をやりたい」と言われ続けていましたが、レシピが見つからず、試作を繰り返してもいい結果が出ていなかった。田中に大阪に帰る準備をさせていたら、そのレシピのメモ書きが出てきたんです。「おいしいな。じゃあ、やれる範囲でやろう」という感じで、世田谷に串カツ屋をオープンすることになりました。