現場を知りつくした強みを活かし商流をさかのぼる
「お父さんが民事再生を申し立てるそうです」。
米国の大学院卒業を半年後に控えた年の暮れ、母親からの手紙が急を告げた。継ぐ気持ちはなく、金融機関への就職を考えていた矢先の話だった。すぐに帰国すると、クレーン・トレーラー運送業界でも暴れん坊で名をはせた父は憔悴しきっていた。「卒業したら戻るから待っててや」。そう約束した。
延命策で持ちこたえていた会社はまさに火の車だった。支払いを止めていたリース、燃料会社から矢の催促が続いた。社員は雪崩を打って辞めていき、補充で確保した不慣れなオペレーターの事故対応に追われた。すがれるものならと再生を請け負うコンサルティング会社にも通ったが「評論するだけ」の態度に辟易とし、「他人任せではあかんのや」と気づいた。「アメリカの大学院を出たという自負があって賢くやろうと思ってしまっていた」。
鎧を脱ぎ捨て、泥臭い現場作業もいとわず、がむしゃらに突き進んだ。懸命な姿を見ていた人から大型遊園地が新設するジェットコースター工事の入札に参加しないかと声がかかった。喉から手が出るほど欲しい仕事だが、工事ノウハウがない。遊具工事に精通した職人を探し一緒にやらないかと話を持ちかけ、プラント会社に勤める友人に掛け合って設計図面製作のノウハウを学び資料をつくった。
最終プレゼンでは、分厚い資料を持ち込んだ大手ゼネコン各社に対し、ただ1人20代半ばの阿知波氏がA4サイズ5枚の資料のみで臨んだ。外国人からの矢継ぎ早の質問にひるまず一人で答える姿勢が受注の決め手になった。
それでも売上げはあっという間に返済に消えていく。そんな折、会社分割法のことを知る。父が経営する阿知波組から健全な資産を買い取り、新会社アチハに引き継ぐ手法だ。
引き取る資産の優先順位を決めるうち、自宅だけはどうしても手放さなければならなくなった。家は、戦後祖父母が馬1頭から苦労して会社を大きくしてきた証だ。「まず家屋敷を守らんでどないすんの」と猛反対する祖母を説き伏せた。自宅解体の日、傍らで家が壊されていくのをじっと見つめる祖母を見て誓った。「社員には絶対同じ思いをさせまい」と。
仕事でも転機が訪れた。4トントラックでロケット部品を運ぶ仕事をしていた時、「特殊トレーラー持ってるんなら運んでもらいたいものがあるんだが」と大手製造メーカーから相談を持ち掛けられた。ものは航空部品で直径5.5メートルの金属蓋。縦にすればトンネルで引っかかり、横にすれば道路3車線分をふさいでしまう。
斜めに積んで運ぶ台を作るとともに、運送ルートにある信号の高さ、道路の幅をすべて調べ上げ、時間帯ごとの交通量をもとに台の傾きを変えて運ぶ綿密なスケジュールを作り、ようやく道路監督者から認可を得た。以降、難しい運搬物の運送依頼が入るようになり、会社は息を吹き返した。
多くの現場を経験し、さまざまな仕事のやり方をつぶさに観察してきてたどりついた結論がある。「下請けのままではいつまでもたたかれ、苦しむだけ。それならいっそ商流をさかのぼって元請けになればいい」。元請けになる大手が持っているものは何か。人脈と情報、そして技術力だ。
徐々に元請けの仕事を増やしつつあるが、今狙うのは今後アジア各国で広がりを見せる鉄道車両の輸出プロジェクト。大手商社で国際入札の契約に携わったことのあるOBを、また鉄道会社の生産車両の情報に精通するOBを新たな仲間として迎えた。ついこの間も、ある国の国際入札に大手商社と肩を並べて参加した。
何よりの強みは「元請けでありながら、輸送、物流を自社で担える分、マージンがなくなり、入札価格では負けないこと」、そして「現場を知り尽くしているからこそ、どんなトラブルにも迅速、確実に対応できること」だ。「末端の現場を知っていれば上に上がっても強い」。その入札に負けはしたが次にかたづけるべき課題は見えている。
「こんな仕事させてすまんな」。そう父親に言われた時、阿知波氏は「親父はなんで会社継いだんや」と問うた。返ってきた答えは「血やろな」。父親は休みの日もいとわず、早朝から現場に足を運び、社員をねぎらった。そして今、阿知波氏自身も朝から晩まで現場で奮闘する若い社員の働きぶりに目を細める。
若い社員のために、と今目標に掲げるのが株式上場だ。「上場してもおれは一銭も金を受け取らん」と今から公言している。社員のために会社は生き永らえないといけない。「その責任こそ、自分の体の中に流れる血」だと実感している。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)
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