思いあがるな 経営者に必要なのは「おかげさまの心」
仕事に励む父が誇りで憧れていた子ども時代
「小さな商店を経営していた父は仕事一筋だったので、小さい頃の私の遊び場はもっぱら会社の倉庫でした」と小田氏は振り返る。油が塗られた製品を積み上げてはお小遣いをもらう、そうやって先代の背中を見ながら育った。子どもの頃は仕事に励む父が好きで憧れていたが、思春期になると地味な仕事がカッコ悪く思えてきた。だから学校卒業後は「あんな仕事は嫌や」と反発し、職を転々とする。
そんな小田氏が関西フレックス工業に入ったのは20歳のとき。当時は町工場のイメージそのままで、夢を抱けるような環境で
はなかったものの、業績は伸びていたので必死に働いた。ところが突然、社員が一斉に退職し、三人だけになってしまう。
「父は他にもう一社、配管資材を扱うオダコーという会社も経営し、関西フレックス工業は私が実務を仕切っていました。『こっち(関西フレックス工業)はやめてもええ』と言いましたが、せっかくここまでやってきた会社、そういうわけにはいかへん!」と続ける決心をした。
「お前は経営がわかってへん」父が導いてくれた道
それからの数年は大変だった。人を雇ってもすぐ辞めてしまうため、現場から事務処理、納品まですべて一人で対応したという。幸いにも取引先に認められ、業績は右肩上がりを続けて社員数も10人以上に増えた。
「でもその頃から先代とぶつかるようになったんです。私は自分の力で会社を立て直したと思っている。一方の父は『お前は経営がわかってへん』。2年ほどまともに口をききませんでしたね。今振り返ると、当時の私は謙虚さを失っていたと思います」。
そんなある日、先代から突然、「今日からこの人が会社の責任者や」と外部の人を紹介された。同業他社の元役員を、専務取締役として迎え入れたのだ。「私は会社を継ぐつもりだったので、それはショックでしたよ。でもその方に、経営者としての心構えや人生観を教えてもらいました」。
特に印象に残っているのは、「経営者は『経営者』という生き物やと思え」という言葉。自分のすべての行動や考えが会社のためになっているか、それを常に念頭に置いているのが経営者である。そう言い聞かされたのだ。「いま思えば、私の上にその方をつけたのは親心やったと思います。親子だと感情が入るので、自分の代わりに息子を一人前に育ててもらおうと考えたんでしょう」。
経営者としての“英才教育”を受けたあと、その役員は退任し、小田氏は37歳で社長に就任。同時にオダコーの社長も兼務し、組織再建などに取り組んできた。
「こうして育ててもらったおかげで、父が一番大切にしていた経営者としての心構え、『おかげさまの心』を学ばせてもらいました。多くを語らない人ですが、今の私があるのは父が導いてくれたからこそです」と感謝する。
現在、会社の財務基盤を強化し、アジアを市場と捉えた展開も見据えている。先代に導かれて今の小田氏があるように、「今度は自分が社員を導く番」と頼もしい笑顔を見せてくれた。
関西フレックス工業株式会社
代表取締役
小田 幹人氏
http://www.neoflexibility.com/
創業/1986年 従業員/20名(グループ会社含め30名)
事業内容/ステンレス製フレキシブルホース、伸縮管継手の製造、グループ会社で配管資材の販売を行う。産業用ガス業界や半導体分野向けに独自ブランドの製品も展開。ものづくりは日本にこだわり、アジアはあくまで市場と位置づけている。