【ロングインタビュー】男ばかりの町工場を継いだ跡取り娘の覚悟 「会社は私が存続させる」
松本氏は今年6月、遠心分離機メーカーの4代目社長に就いた。自ら継承を望んだ32歳の若き女性リーダーは今、男ばかりの職人の世界に新たな風を吹き込み、がむしゃらに変革を進めようとしている。すべては「75年続いてきた会社を守るため」だ。
―事業承継のきっかけは。
幼いころから会社の花見、社員旅行に参加していたので社員の皆さんとは慣れ親しんでいました。いつかはこの会社で働こうという気持ちがありましたが、大学卒業後に入社したとしても「社長の娘」というレッテルを貼られ、平等に接してもらえないだろうと考え、違う業界に行くことにしました。中小企業でかつ社長がバリバリ働いているところへ行こうと思って、選んだのがベンチャー系のセールスプロモーションの会社でした。いろんな業種の方と話ができるし、営業で交渉ごとも学べるだろうと考えてのことでした。ひと通りのことを学んで、4年前会社に戻ってきて、会社を継ぐ意思を父に伝えました。
―継ぐことに迷いはなかった。
選択肢としては婿養子をとって継いでもらうというやり方もありますが、やりにくいだろうと。また、仮に任せて経営に失敗したとしたら「なんでなん?」と問い詰めてしまいそう。それなら、すべて自分で責任を取ってやりたいと思いました。
もう一つの選択肢としては、血縁関係のない社員が継ぐというやりかたがあります。ただ借入れや個人保証のことを考えると現実的ではない。4代続いてきた会社を絶やすわけにはいかないという気持ちが私には強くて、苦境に陥ったとき死に物狂いで働くのはやはり血縁者にしかできないだろうと。私が継がなければ他の会社の傘下に入るという選択肢もあるかもしれません。でもそうなったら、真っ先にリストラされ、給料を下げられてしまうのはうちの社員たちでしょう。そう考えると、私が気張らないと。これまで75年間この会社を守ってくれた社員の方たちへの恩返しの気持ちもあります。
―それにしても32歳という若さで。
私のほうからやらせてほしい、と父にお願いしました。パートナーとは来年秋に結婚予定ですが、もし子どもができてからだと、身内を守るという意識がどうしても先に出てしまうでしょう。守るものがないうちにがむしゃらにやりたいのです。パートナーも「仕事で遅くなっても平気」と言ってくれています。パートナーの理解には助けられています。家のことをしろということはまったく求めていませんし、むしろ「対等に張り合えるくらい働いてほしい。2人のどちらかに何かあったときはお互い支えられるように」と言ってくれています。
―どのような遠心分離機を製造しているのでしょうか?
戦時中は飛行機のプロペラなど軍需製品をつくっていたのですが、戦後になって洗濯機をつくっていた方が入社し、工場の前に「洗濯機の修理もできます」という札を掲げていました。そこへたまたま大手医薬品メーカーの社員の方が通りかかって、遠心分離機の修理もできないかと。そういうことで修理を入り口に遠心分離機の製造に着手したのがきっかけです。
製薬会社向けの遠心分離機ではトップシェアを占めています。薬の世界では、わずかな異物の混入も許されません。遠心分離機の金属表面に仮に小さな傷が生じて、そこに成分が入り込み、次の薬の生産のときに混じってしまうことも考えられます。メーカー立会いの検査ではライトを照らして隅々まで傷がないかを確認します。間違いのない製品を送り出し続けてきた信頼で「技術の松本」という言葉もいただいています。
すべて受注生産で、こんな薬をつくりたいのでこんな機械をという要望に応えて、当社で設計をし、完成品にまで仕上げます。一つの遠心分離機を製造するのに半年ほどかかります。1人がいろいろなことをできないといけないので、1人前になるまでに10年はかかるでしょうか。人材をどう早く育てるかが大きなテーマです。
―社内は男性、しかも年長者ばかり。戸惑いは?
多くの社員がパソコンを使わずに手書きで帳面をつけるようなアナログの会社に新しいやり方を取り入れていこうとしているので戸惑いはあったと思います。たとえば、お客様への点検確認の書類もテンプレートや書式がなく、画像をただプリントアウトしただけのものでした。台帳の中から過去の書類を探すにも苦労していました。それをすべてエクセルに落とし込みデータ化を進めました。はじめは「うるせえな」「わからんくせに言うな」ともいわれました。心が折れそうになることもありましたが、そんなときはゴールのイメージを一緒に考えました。とにかく「一緒に頑張ろう」という気持ちを根気よく伝えるようにしました。
父の時代はトップダウンで、人事の査定も社長の一存というようなところがありました。そうするとどうしても好き嫌いが入ってしまいます。そのやり方を改め、利益率などを踏まえ、誰が見てもわかりやすいような評価方法にしました。そうして信頼関係を少しずつ積み重ねていきました。今では工場長も細かい報告書をパソコンで書いてくれるようになっています。
変革を喜んで受け入れる人は少ないものです。でも、それが会社を守ることであるならばやらなければいけません。そこで聞き入れてもらえないから、とその社員を辞めさせるようなことをすれば私の負け。独裁になってしまいます。将来のため、みんなが一つの目標へ向かえるように社員のモチベーションを上げていくのも社長の仕事だと思っています。先代の父からもそのあたりの苦労は聞いています。父もすべてを私にゆだねてくれています。
―経営者として女性ならではの強みを意識することはありますか?
女性が結婚して母になり、家を守るのと同じような感覚はあります。会社はいわば大きな家であり城のようなもの。50人の社員さんがいて、その家族も入れると200人の人たちがいるわけですから。子どもを育てるように城を守りながらマネジメントしていくという思いは女性ならではかもしれませんし、それが母性というものなのかもしれませんね。
―今後の事業展開について。
遠心分離機というのは大きな洗濯機のイメージで、軸を安定させてスムーズに回転させると振動が少なくなります。この医薬品向けで培った遠心分離機の技術力を他分野に応用できないかと考えています。
―あとに続く女性経営者の方にメッセージを。
社長は自分の思っていることすべてができる仕事です。ふだん見聞きするもの、出会う出来事がすべて仕事につながっていく楽しみがあります。遠心分離機について、入社するまで私は何も知りませんでした。でもその会社が続いているということは、どこかでだれかが生み出す製品やサ―ビスを喜んで使っているということです。ついこの間も、うちでつくっている遠心分離機が重篤な感染症を治療する薬の製造に役立っていると知り、涙が出るほど喜びました。
社長を継承して引き継いだ責任も個人保証も大きいですが(笑)、会社を存続させていく覚悟があれば何も気にすることはない。社員さんや社員さんの家族が増え、仲間が増えていく喜びの方が何十倍も大きいのですから。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)
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