【飲食店開業への道】100年の時を内包する建築が、カフェとして蘇る
東大寺の裏手に静かに佇む木造建築。大正14年(1925年)創業の「長壽會(ちょうじゅかい)細菌研究所(後の奈良食品工学研究所)」工場跡地だ。
日本人の栄養がまだ十分でなかった時代、「栄養失調や結核で苦しむ人々が太って健康になるように」と乳酸菌飲料を開発。「フトルミン」と命名し、昭和50年代の半ばまで製造されていた。
その後、工場は閉鎖。約30年の休止を経て、創業者の曾孫にあたる喜多氏が2年半かけて建物内を整理した。
「祖父が倒れた日のまま、工場内のすべてが残されていました。どこから手をつけていいのか、一体いつ片付け終わるのかも分からないまま進めていたら、ふと工場内の空気が澄んだように感じる瞬間があった。その頃から、この建物を残したいと強く思いはじめたんです」。
止まった時間が動きだし、幼少期に見た祖父の仕事風景が蘇る。カフェオープンは当初からの計画ではなく、100年の時を内包する空間を維持保存し、その存在を発信するための手段だった。
鉄鋼メーカーやシティホテルに勤務し、人事や営業畑を歩んできた喜多氏にとって、飲食店経営は未知の世界。知人のすすめで大阪産業創造館の飲食店開業シミュレーションプログラム「あきない虎の穴」に参加し、研修先のお店で実務を学んだ。
「お客さまの反応が直接見えることが新鮮で。思い入れのある建物を舞台に、美味しいコーヒーや軽食とともにこの空間で時間を過ごしてもらえたら。そんな想いでお店を立ち上げることになりました」。
2009年に「工場跡事務室」がオープン。国の登録有形文化財にも指定された4棟の木造建築は、奈良の宮大工・大木 吉太郎氏によって手掛けられたもの。下見板張りの外壁や切妻屋根、白漆喰など当時の手仕事を今に伝えている。
事務室として使われていた和室は、東大寺の竹林を借景にした畳席に。かつて荷造り室だったスペースはテーブル席に充てられた。
「利益を出すことはもちろん大事ですが、この場所の可能性をもっと深めていきたい」と喜多氏。現在はカフェだけでなく、メニューで提供する珈琲や紅茶・大和茶類・オリジナル開発雑貨の販売や、通常は非公開の建物内工場見学(朝食付き)プログラムも展開。倉庫棟を利用した展示会・ミニライブなどの開催イベントも実施する。
コロナ禍は我慢の時期だったが、外国人旅行客の来店も順調に増えている。
「万人受けするお店をめざす時代ではないと思っています。広報戦略をもって集客の導線をしっかりと計画・確立し、新規客もしっかりと獲得しながら、既存リピーターがさまざまな知人をつれて再来店してくださるループが回っていくのが理想です」。
時間の蓄積を感じさせる空間が唯一無二の輝きを放っている。
(取材・文/北浦あかね 写真/福永浩二)
【 開業資金 】 700万円
リノベーション工事の費用として約500万円。その他、備品の調達に約200万円。古い木造建築の扱いに長けた工務店に依頼し、できるかぎり原型を残して再生した。
【 立地選定 】 大正14年創業の工場跡地。東大寺の裏手で、観光客の多さと静けさを兼ね備えた好立地。
【 店舗デザイン・設備 】 柱や梁は現存のものを極力残し、屋根瓦など老朽化が激しいもののみ交換。剥がれかけたペンキも、元の色を再現している。
【 開業までに要した期間 】 工場の整理に約2年間。リノベーション工事は約3か月。
【 「あきない虎の穴」担当者からのコメント 】
15年前に喜多さんの話を聞いたときは、正直開業は難しいだろうな~と思ってましたが、「虎の穴」受講中はもちろん、卒業後もことあるごとに相談や、セミナーに参加される様子を見て、「本気なのね」と思うようになりました。観光地にある特殊物件という強みを活かして、飲食店としてだけでなく、場所そのものを売りにするというコンセプトは、今の方がニーズにマッチしていると思います。これからの展開が楽しみですね!
(大阪産業創造館 創業支援チーム 浜田 哲史)
【 あきない虎の穴 】https://www.sansokan.jp/tora