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創業当時から変わらない味とデザインの昔懐かしい飴

2023.02.01

口に入れると、砂糖と水飴だけを原料に使った優しい甘みがじんわり広がる。澄んだ金色の輝き、四角柱の先が細まっている形状から宝石を想起させるその美しさもあり、100年近く愛され続けてきた。それが黄金糖だ。

瀨戸口氏の曽祖父が、故郷の宮崎・都城で飴の製造・販売を始めたが、消費地を求めて大阪に出てきたのが1923年のこと。だが、戦争で原料の砂糖が入手困難になり製造できなくなったところへ、追い討ちをかけるように空襲で工場と住居を焼失した。戦後、「もう一度あの味を」という客の求めに応じ、1946年には工場を建て、再び立ち上がった。

黄金糖液を加熱器で熱し型に流し込み、冷やして固める。

ひと粒ずつ自動包装される。

2代目となる瀨戸口氏の祖父は、「商売上手なアイデアマンだった」と瀨戸口氏。黄金糖の垂れ幕をセスナ機からぶら下げて派手に宣伝をしたかと思えば、「飛行機に乗っている時の気圧調整に飴をなめるとよい」と航空会社に売り込み、機内で飴を配るサービスを定着させた。今もJAC(日本エアコミューター)の西日本エリアの航路では黄金糖が配られているという。

当時、機内サービスに配られた黄金糖の案内。

赤、透明、青という袋のデザインも創業以来ほぼ変わらない。ある時、リニューアルを図るべく黄金色のデザインに変えたところ、売上げがパタリと止まったという。「パッケージデザインも含めて愛されているということがわかった」。以来、「パッケージは絶対さわらない」が同社の不文律となっている。

黄金糖1本で商売を続けてきたが、将来を見据えて2000年頃から黄金糖以外の飴の製造も始めた。香料や着色料を一切使わない黄金糖の素朴さに倣って健康志向の飴を商品化。しょうが汁を使ったしょうが飴や、体や脳への吸収が早いブドウ糖入りのタブレットなどラインナップを増やしている。

黄金糖には意外な使われ方もある。たとえばいかなごのくぎ煮やカレイの煮付けに加えれば程よく照りが増し、キャラメルラスクに混ぜれば香ばしさが際立つ。40年ほど前から台湾に輸出してきたが、料理用として和食人気が高い欧州にも輸出ができないかと模索しているという。2023年はちょうど発売100周年の節目。「これまで愛してくれたお客様、そしてこれから愛してほしい若いお客様に向けてのキャンペーンを実施する予定にしている」と瀨戸口氏。そして、黄金糖のように100年続く次なる定番商品の開発をめざして奮闘が続く。

工場長 瀨戸口 一博氏

(取材・文/山口裕史)

株式会社黄金糖

工場長

瀨戸口 一博氏

http://www.ogontoh.co.jp

事業内容/飴の製造・販売