経営者としての覚悟を決めた「相棒の一言」
大阪産業創造館プランナー 中尾 碧がお届けする
社長だって一人の人間、しんどい時もあります。そんな時にモチベーションの支えとなり、「一緒に頑張っていこな!」と声をかけたい“人”または“モノ”がきっとあるはずです。当コラムでは社長のそんな“相棒”にクローズアップ。普段はなかなか言葉にできない相棒に対するエピソードや想いをお伺いしました。
【 vol.22 】株式会社三栄金属製作所~経営者としての覚悟を決めた「相棒の一言」~
大きな転機を迎えようとする社長が、同じ職場で働き、家族でもある“相棒”に支えられ乗り越えたというケースは、これまで何度も紹介してきた。今回取材した株式会社三栄金属製作所の山下氏もそういった経験を持つ。
同社は1970年に山下氏の両親がプレス機械2台で創業した。山下氏は高校卒業後、一旦別の会社へ就職したがその後家業に入った。入社した当初はバブル時代であり、華やかに見える他人と比べてしまい仕事に前向きになれない時もあった。
そんな意識を変えたのは31歳の時、会社の指揮をとっていた父が病魔に襲われた。当時は従業員2人と母が働いており、山下氏自身も家族を抱える身。「自分が皆の人生を背負っている。この仕事を頑張らないとアカン」と気持ちが切り替わり、真剣に家業と向き合うようになった。その後、のちに専務となる弟や、金型製作の経験を持つ親族が入社。金型製作とプレス加工ができるようになり、仕事は次第に増えていった。
山下氏が44歳の頃。事業規模は大きくなり、家族中心の経営から組織へ転換するかどうかの分水嶺となる時期だった。仕事は絶好調。会社のトップである山下氏は自分の手腕に大きな自信があった。しかし、ともに職場で働く妻の洋子氏は山下氏の慢心を見逃さなかった。「アンタ一人で強い会社になれるか?無理やろ!」そばで支え続けてきた人生の相棒である洋子氏しか言えない言葉だ。この一言で山下氏は我に返り、「組織」としての成長をめざすようになった。
2006年に法人化し、代表取締役社長に就任。大阪府中小企業家同友会や大阪産業創造館で、経営者として必要な知識を学んだ。勉強を続けるにつれて経営者としての展望が広がってきた。その頃、大きな案件が入って忙しくなり、初めてベトナム出身の従業員を雇った。雇用した従業員はとても優秀で山下氏は大変感心した。それから間もなくしてリーマンショックが起こり、多くの会社が事業縮小を行うようになる。そんな時、山下氏のところに、ある会社から事業縮小のためベトナム人従業員を引き受けて欲しいという依頼があった。ベトナム人従業員の優秀さをよく知る山下氏はすぐに快諾し、2人が入社した。2人は真面目さと優秀さを発揮し、今では重要部門のリーダー・副リーダーとして、他のベトナム人従業員たちの目標となっている。2人をモデルケースにして、働きやすい仕組みを会社に導入し、現在同社で働くベトナム人は約50名にのぼる。
2018年にはベトナムに新工場を設立。設立に至るまでは山下氏自らが現地に乗り込んで奮闘した。採算面で心配な時期もあったが、山下氏が新工場へと力一杯打ち込めるように、精神的にも仕事の面でもサポートしたのは洋子氏だった。また、廃業や事業縮小する会社からM&Aの相談が寄せられるようになり、応じたこともある。そうした決定は山下氏が行うが、冷静に判断できるようにいつも支えているのはやはり洋子氏だ。「会社が上手くいくためには夫婦仲が大事!」と山下氏は笑顔で言う。ともに過ごして約50年、夫婦の強い絆で会社の成長をけん引してきた。山下氏の現在の目標は、ベトナム人従業員の工場長・リーダーを増やしていくこと。海外出身の人も気持ち良く働ける会社であるために、山下氏の取り組みは続く。
(取材・文/大阪産業創造館マネジメント支援チーム プランナー 中尾 碧)