《講演録》地酒「獺祭」に学ぶ <伝統の改善>~製造業で実践するには~
◆新型コロナウイルスの打撃と在庫
新型コロナウイルスの感染拡大に関しては、最初は対岸の火事で、中国市場の輸出が落ち込む程度でした。しかし、やがて中国からヨーロッパへの感染拡大がはじまると一気に影響が出てきました。売上げは前年比40%を切り、免税店の売上げは99%ものマイナス。そこで、製造に一気にブレーキをかけました。社員の多くを休ませる、先ほど言及しましたニューヨークの醸造所の工事も一年凍結。でも、そうこうしているうちに先に感染状況が改善したアジアをはじめとした海外市場の需要が一気に戻ってきました。ところが、製造にブレーキをかけていたから供給できない。製造後2~3ヶ月で出荷できるため即座には対応できない状況があり「なんで商品を提供しないんだ」というお叱りも受けました。そのように海外の動向によりコロナの影響がどのように日本にも波及してくるかが予想できたため、早めに有利な条件で借り入れを受けることができたのは不幸中の幸いでした。
◆生産者も飲食店もなくてはならない存在だから
製造にブレーキをかけたので、原料である山田錦の在庫をたくさん抱えていました。そのため、社内でも今後の入荷量を抑えるべきだという声も出ていたのですが、山田錦の生産者さん達は私たちにとって大切な存在。サプライヤーさんが健全な状態でないと、私たちも今後モノづくりができません。そこで、生産者さんに対しては向こう3年間今までと同じ量を入荷し続けますよ、とお伝えしました。当然、余った山田錦をどうするんだ、ということになります。色々思案した結果、山田錦を使用したアルコール消毒「獺祭タノール」を生産したり、「獺祭の酒米」という食用米にして販売したりすることにしました。正直、儲けが出ない商品ではありましたが、お米は使えるし、社員も家で休ませておくよりもいいだろうと。また、私たちにとってサプライヤーさん同様、大切な存在が飲食店さんです。飲食店さんを支援したいという思いから2021年5月24日に日経新聞に意見広告を出しました。飲食店にはとりわけ厳しい制限策が強いられていた中、【このままでは、飲食店がコロナ禍の最大の犠牲者に】、【感染も倒産も抑えるために、意味のある制限策に見直して欲しい】、【地域経済の復活なしに日本再生はあり得ない】といった章を立てて、“飲食店を守ることも「いのち」を守ること。私たちは、日本の飲食店の「いのち」と共にあります。”と意見表明しました。ありがたいことに、多くの共感をいただきました。
◆コロナ禍で気づいたこと、これからの酒造り、人づくり
このコロナ禍で私たちは、自分たちのいくべき方向を考え直す機会を得たと思っています。コロナ前まではマス寄りの商品を生産していく方向に感覚的に引っ張られている部分もありましたが、世界的に飲食のシーンは飲む回数は減り外食は「ハレの日」に、という傾向になったと考えています。そんなときに、やっぱりいい酒を飲みたい。そういう需要に応えるためにも、やはり高付加価値方向の市場で攻めていくのが我々の本分だと考え直しました。2020年10月には香港のオークション「サザビーズ香港」に、私たちがコンテストで選んだ最高の山田錦から造った高品質な「獺祭」を出品し、最高6万2500香港ドル(約84万)で落札されました。残りの数十本も、日本国内でも売り切れました。驚きの結果でしたが、やはり高付加価値の商品は求められているのだと実感しています。
いい商品をつくるには、製造の根幹を強化する必要があります。そこで、何よりもまず最高のモノづくりをするプロの職人に報いることが必要だと考えました。仕事に求めることは、やりがい、誇り、いろいろありますが、まず目に見えるところからということで社員の所得を5年で倍にすることに決めました。今、段階的に給与を上げていっているところです。既存の社員だけでなく新入社員の初任給も同じです。いい人材を確保することで社内に刺激を与え、さらによいモノづくりに挑戦していきたいと考えています。
(文/今中有紀)
桜井 一宏氏(旭酒造株式会社 代表取締役社長)
1976年、山口県生まれ。2003年に早稲田大学社会科学部を卒業し、他社を経て2006年に旭酒造へ入社。製造部門での修業を経て、2016年に代表取締役社長に就任、以来現職。