《講演録》副社長が語る!注目の企業マザーハウスの躍進の裏側にある経営哲学とは
《講演録》2021年2月15日(月)開催
【トークライブ!】副社長が語る!注目の企業マザーハウスの躍進の裏側にある経営哲学とは
コロナ禍で多くの企業が苦しむ中、テレビ番組「カンブリア宮殿」で“コロナ禍で大躍進する会社”として取り上げられる「株式会社マザーハウス」。これまで当館の【トークライブ!】で聞き手として数々の経営者と対談し、その核心に迫ってきた代表取締役副社長の山崎大祐氏だが、ついに今回は自らの経営哲学を語った。山崎氏の「熱い情熱と冷静な思考」に触れ、明日からの経営のヒントを得ていただきたい。
―― 株式会社マザーハウスの概要
当社は2006年、代表取締役社長の山口絵理子が25歳、僕が26歳の時に、資本金250万円で設立しました。現在は11ヵ国に生産工場と販売拠点を展開しており、社員は合計で700人近くになります。
設立からずっとベンチャーキャピタルなどの外部資本は入れず、今ではIPOできるだけの売上げもありますが、そうはせずに自分たちの力でできることをやり、自分たちの経営哲学に沿わないことは絶対にやらないと決めています。
当社は2006年から全く変わらずに「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念を掲げています。途上国=かわいそう、あるいは途上国=貧しい、というイメージが根強くありますが、必ずしもそうではなく、途上国にも素晴らしい技術はあるし、途上国にしかない素晴らしい素材もある。そういったものに光をあて、ものづくりを通じて途上国のイメージを変えていきたいと考えています。
僕たちの理念は、製品だけでなく工場やお店にも反映されています。工場とお店は僕たちにとっての聖地であり、「第二の家」だと考えています。現在バングラデシュで建設中の工場は、学校や病院が併設される予定で、みんなが完成を心待ちにしています。
―― 素材入手から自社でかかわるものづくり
さて、僕たちが何をつくっているのかというと、バッグやアクセサリーといったファッションアイテムと呼ばれるものです。ファッション業界でよくある工場への製造委託ではなく、自分たちでゼロから立ち上げた工場で製造し、自分たちのお店で販売しています。
バングラデシュでは2006年にジュートのバッグをつくることからはじまり、現在はレザー製品を主力としています。2009年からはネパールでシルクなどの素材を用いたスカーフを、2015年からインドネシアで繊細な技術を用いたアクセサリーづくりをはじめ、2016年からはスリランカで宝石を採掘するところからジュエリーに仕立てるまですべてやっており、2018年からはインドで特殊なコットン生地で洋服をつくっています。
―― 一貫した流れの中でお互いにつながる
そして、僕たちは販売まで自社で完結している点が大きな特徴です。
製品にストーリーを載せてお客様に届けること、今では当たり前のように言われている「ストーリーマーケティング」を創業当時から重視し、販売員を「ストーリーテラー」と呼んでいます。
年に一度は販売員全員でファクトリー・ビジットを行い、売る人と作る人がお互いに何をやっているのかを知る機会を設けています。実はお互いの役割が大きな一本の流れとしてつながっていることを理解すれば、普段の自分の職務への理解がより深まります。
生産者と消費者、途上国と先進国というように世界には分断や対立構造が伴いがちですが、ものづくりを通じて互いのつながりをリアルに感じることができ、自分たちの生活がより豊かになっていくと信じています。
―― 熱い情熱と冷静な思考、この順番が大切
どういう考えをもって会社をここまで大きくしてきたのか?という質問をよく受けます。
僕たちが大事にしているのは「熱い情熱と冷静な思考」で、この順番が大切なんです。主観でゴールを定めて客観でプロセスを構築していきます。
この逆は、市場調査や世間の流行りで目標を決めて、あとは気合と根性でなんとかしよう、というものです。僕たちはこういうやり方はしません。
当社はもともと社長の山口の「途上国の可能性を体現する」というウォームハートからスタートしています。もちろん思いや情熱だけでなんとかなるような簡単な話ではなく、それをどうやってビジネスにしていくかにはクールヘッドが必要になります。
―― やりたいことに向かって小さく積み上げる
日本人はともすると「やりたいこと=できること」になりがちですが、本当にやりたいことに向かって小さくてもいいから行動していくことが重要です。
14年前に山口はバングラデシュの小さい工場で、粗削りながらも本当にバッグを完成させました。初年度の売上げは200万円程度でしたが、大事なのは実際にバッグを完成させたということです。
大きな夢をもって、それに向かって小さくても実現していれば、10人に1人くらいは「面白いね」と応援してくれる人が出てくるものです。当時も、思いに共感してくれた仲間たちが僕の家に夜な夜な集まって、バングラデシュ製のバッグをどう売っていくかを一緒になって考えてくれました。
―― お客様と実際に会って気づかされた
会社の設立資本金はほぼすべてバッグ製造につぎこみました。600個の在庫が倉庫代わりだった僕の家に置かれ、当時は段ボールの山の中に埋もれて生活していました。売れ行きはさっぱりで、自社ECサイトをつくったり飛び込み営業をしたりしても全く売れず、設立から1年で会社を辞めようと考えたほどです。
でも、せっかくならバングラデシュの人たちが一生懸命作ってくれたバッグを売り切ってから辞めたい。そのためにまだやっていないことが何を考えてみると、それはまだ実際にお客様に会っていないことだったんです。
そこでお客様を集めてサンクスイベントを開催しました。もちろん会場を借りられるようなお金はなかったので、お一人当たり参加費5,000円をいただいての開催です。それでも50人ほどの方が来てくださりました。どんな思いでこのバッグを購入してくださったのか、どんな商品であれば購入したいと思うか、という声を直接聞いてものすごく感動しました。
それまで僕は、お客様と企業というのは対立関係にあると考えていて、もっと安くしなきゃいけない・もっと期待に応えないといけない、と思い込んでいました。でもそうではなく、お客様は共に歩んでくれる存在なのだと気づいたんです。
今でもこのイベントは続いていますが、お客様が会社を育てるという言葉はそのとおりだと実感しています。
―― 最初のお店づくりも自分たちの力で
初めてのサンクスイベントを機に、お客様と常に会える場所を作ろうと決心しました。とはいえ表参道のような一等地に出店する余裕はないので、入谷にあった配送倉庫を改装して店舗にすることにしました。
ちょうどそのころ、山口がビジネスプランコンテストで優勝して300万円を持って帰ってきたので、それを元手にしたんです。300万円で店舗が作れるわけがないと、コンテストの審査員や小売業界の方々は否定的でしたが、僕たちは知り合いの内装職人さんに木の切り方や丸鋸の使い方を習って自分たちでお店を作り上げました。
僕がゴールドマンサックスのエコノミスト職を辞めて、この会社で最初にやったのは木を切る仕事で、今となっては家具でもなんでも作れます(笑)。そうやって自分たちの力で最終的には250万円でお店を作って、そのお店で一番大きい時で月900万円の売上げを得ました。
できない・できるわけないと思った瞬間に思考は停止してしまいます。インターネットで「お店の作り方」を検索して「内装費用は2,000万円」だと知って、ああ無理だなとなってしまえばそこで終わりです。
そうではなくてどうしたら自分のやりたいことができるかを考え抜くことが重要なんです。
―― 正しさで始めて、楽しさで広げる
入谷、そして私たちの店の場所は決して集客力の高いエリアではありません。どうやって900万円も売上げたのかと不思議に思われる方もいるでしょう。
僕たちはとにかく情報発信してイベントをたくさん開催しました。例えば、クリスマスの時期には僕がトナカイ、山口がサンタの恰好をして店頭に立ちました。すると前職の同期や先輩が「あの山崎が」と面白がって大勢来てくれて、せっかくここまで来たんだからと商品を買っていってくれたんです。
人は正しいことで動くのではなく、楽しいことで動くのだという気づきになりました。僕たちのビジネスがどれだけ社会の役に立つかを訴えるよりも、「面白い」「かわいい」といった形容詞で人の感情を揺さぶらないと物は売れないのだと。
―― 理念だけで持ちこたえるのには限界がある
ここまでお話してきたのは主に創業期のことです。このころは大変さもありましたが学園祭気分のような楽しさもありました。設立5年目で年間売上げが2.5億円くらいになり、会社としての体を成すようになってから、経営者としてのしんどさを痛感するようになりました。
当時40人くらいいた社員の中で、立て続けに2人が退職したのです。退職者の穴埋めをどうしようかと20人ぐらいが集まって事務所で話をしていたとき、僕のせいで人が辞めているのだという厳しい指摘を受けました。僕が理念をみんなに押し付けているのだと。
当時、僕は年間360日朝7時から終電まで全身全霊で働き、誰よりも仕事をしている自負がありました。会社の理念を自ら体現するのは至極当然だと思っていたんです。でも、実際にはみんな月18万円程度の給料の状態で、理念だけで持ちこたえるのは厳しくなっていたんですよね。
―― サステナブルな会社になるために必要な目標を定めた
当社は設立早期からマスコミに取り上げられていたので知名度はそれなりにありましたが、最初から経営状態が良好だったわけではありません。
当社は工場や店舗といった設備投資に加え、社内で一貫して品質管理やマーケティングも行っているので人件費もかかる、高コスト構造のビジネスです。
このビジネスモデルの中で、みんなにちゃんと還元できて、かつビジネスとしてサステナブルになるためにいくら売上げをだせばいいのか計算してみると、なんと10億円だったんです。繰り返しますが当時の売上げは2.5億円程度です。
ここで諦めていろいろなことを切り離してビジネスを小さくして続けていくか、あるいは10億円をめざすかの二択で、僕たちは後者を選びました。
4つのビジョン(ソーシャルビジョン、ブランドビジョン、オーガニゼーションビジョン、ビジネスビジョン)とビジネスプラン「Road to 10」を立ち上げました。
「Road to 10」に基づいてロゴを変更したり、ブランドの路線を変更あるいはクローズしたり、出店を続ける一方で採算の取れない店舗を閉めたりしていきました。
―― 目標達成のために経営者としての意識を変えた
「Road to 10」を実施しながら意識していたことがいくつかあります。まずは自分の意識を変えました。それまでの僕は、お客様に喜んでもらいたいという一心でしたが、どうやったら一緒に働くみんながハッピーになるのかを常に考えるようになりました。
それから、「伝える」ではなく「伝わる」を重視しました。この2つには雲泥の差があります。
経営者が思っている以上に、伝えたことって従業員に伝わってはいないんです。僕は毎月の店長会で何度も何度も10億円達成の重要性を説得しました。
必死に働いて売上げ2.5億円のときに10億円めざせというのだから、当然のように反発もたくさん受けました。それでも繰り返し説明し続けて、半年から1年も経つと本当に業績が少しずつ上がっていったんです。
また、昨日よりも今日、今日よりも明日がちょっとでも良くなるように努めました。社会の閉塞感は未来が悪くなるという不安から生まれます。だからこそ、僕は絶対に未来は良くなるという絵を描き、具体的なアクションとして「Road to 10」の1年目にボーナスをみんなに出しました。
最初の年、もちろん10万・20万円なんて無理でしたが、全員に3千円ずつ、しかもちゃんと価値のあるものだと思ってもらえるようにポチ袋に入れてメッセージも添えました。ありがたいことに今でもこのポチ袋を大切に持ってくれているスタッフがいます。
―― 理念を反映した製品づくりで、会社の価値を意識づけた
「Road to 10」の2~3年目になると売上げは顕著に伸びました。一方で、みんなが数字を重視している状況に危機感を覚えたんです。目先の利益ではなく、改めて社会に対する当社の価値を意識してもらうことが必要だと考えました。
マイノリティの可能性を拡げるために僕たちはビジネスを成長させているのだということの証として、乳がん患者さんのためのバッグ作りを行いました。
商品企画担当だけでなく、工場、ロジスティックスやカスタマーセンターの全員が触れることになる商品に、会社の理念を体現させたんです。半分は社内向けマーケティングとして行ったので売れなくてもいいと思っていたのですが、結果として売上げは数千万円と大ヒットしました。
―― 経営者だからこそ意識的に視点の入れ替えを
会社の成長は経営者の成長なくしてはありえません。14年間経営者として邁進してきた今になっても自分の至らなさに気づいたり、自分のいい点に気づかされたりする瞬間は多々あります。
僕がとてもラッキーだと思っていて、かつこの会社の強みだと思っているのは、山口と僕の対極性です。自分とは全く価値観の異なる山口とぶつかることで自分が何者であるのかが段々とわかってきました。
対極にあるもの、マクロとミクロ、虫眼鏡と双眼鏡の視点を行ったり来たりすることで見えてくるものがあります。目の前のお客様に集中する瞬間も大事ですが、資本主義とは何かについて考えてみたり、あるいは自分の業界の外に目を向けてみたりすることで、ビジネスのヒントやチャンスが見つかることがあります。
―― コロナ禍で気づかされた3つのこと
今回の新型コロナウイルス感染症の影響で、当社も2020年4・5月の店舗の売上げはほぼゼロだったのですが、実はそんなにしんどくはありませんでした。というのも2011年の東日本大震災のときに売上げ8割減を経験していたからです。
経営者としての経験値を積んできたからこそ、コロナの影響が大きくなる前の2020年2月にはすでに手を打って、向こう1年半分くらいの資金を調達したんです。コロナ禍で改めて気づかされた3つのことをお話して今回の講演を終わりにしたいと思います。
[1]安心安全の確保
まずは従業員の安心安全の確保です。2月の時点で十分な資金を確保して、11ヵ国のマネジメント全員に資金は十分にあるから雇用や賃金をカットすることは絶対にしないでほしいと伝えました。そこまでしても、8月に「重要なお知らせがあります」と伝えるとみんなやっぱり雇用や賃金のことを心配したんです。実際は山口の産休入りのアナウンスだったのですが(笑)。
経営者が思っている以上に従業員はみんな不安なのだと再認識しました。なので僕らには気軽に言えない相談窓口やサポートの仕組みも新たに構築しました。
[2]未来志向になる
そして、この状況は未来のことを考えるいいチャンスとなりました。営業がほぼできなかった4・5月に僕たちがやったのは、社員全員で5年後10年後、コロナが沈静化した後にどんな社会が来るのか、そのときに何をすべきかを議論しました。
新製品や新規事業の企画で実態はかなり忙しくしていました。一例として、この状況下で新たにフードビジネスを始めました。2021年2月5日に発売開始したチョコレートは大変好評で、バレンタインデーを待たずに欠品が出たほどです。
[3]存在を消さない
最後に存在を消さずにアクションし続けることです。お店が閉まっていてもオンラインで発信できることを可能な限りやりました。その結果が先に述べたチョコレートの成功です。
ピンチに陥ると歩みを止めてしまいがちですが、そういうときこそ頑張っている姿を見せることに意味があると思っています。BtoBビジネスであってもこれは同じです。こんな状況下でも新規事業に取り組むことで、その姿勢が取引先に評価されて、結果として既存事業の受注が増えたという周囲の話も耳にします。
つらい状況だからといって姿を消してしまうのではもったいないことです。悲観せずに楽観的に最善を尽くし続ければ応援してくれる人が出てきます。
本日はありがとうございました。環境にじっくり向き合い、共に変化し続けていけるとよいですね。
(文/原きみこ)
山崎大祐氏(株式会社マザーハウス 取締役副社長)
https://www.mother-house.jp/
1980年東京生まれ。慶應義塾大学在学中にベトナムでストリートチルドレンのドキュメンタリーを撮影したことをきっかけに、途上国の貧困・開発問題に興味を持ち始める。卒業後、ゴールドマン・サックス証券にエコノミストとして入社。その後、「途上国から世界に通用するブランドをつくる」を理念としたマザーハウスの経営への参画を決意し、07年に創業メンバーとして入社。19年から代表取締役副社長に。現在、マザーハウスは6カ国でバッグ・ジュエリー・アパレル等を生産、5カ国で40店舗を超える店を運営し、700人規模の会社となっている。他にも(株)Que社外取締役、日本ブラインドサッカー協会外部理事を務める。