残すことではなくて、伝えることが目的やね
「紙文化資料の町医者」と名乗り、紙資料の修復やレプリカの制作を行なっている。掛け軸、巻物、屏風、襖のような和物から、土地台帳、ポスター、プラモデルの箱など扱うジャンルは幅広い。
顧客は国宝や重要文化財を所有する国立博物館、古文書を研究する大学図書館など。「預かり物だから公にはできませんが」と控えめだが、有名な歴史資料も数多く手掛けてきた。
しかし、「私がやりたいのは個人のものを残すこと」と個人所有の貴重品や村レベルの地域資料に力を注ぐ。国の指定文化財より、それ以外のもののほうが圧倒的に多く、それらが危機的な状態になっているという。「貴重な資料が失われるのをくいとめたい」。その思いが源泉だ。
修復の主力技術は「漉(す)きはめ」と呼ばれる、虫食いで穴が空いた資料を和紙の原料を使い、紙すきの技術で埋めていく工法。特徴は国産の原料へのこだわりだ。
和紙の三大原料である楮(コウゾ)、三椏(ミツマタ)、雁皮(ガンピ)を修復物に合わせて比率を変えるが、修復には国産しか使えないという。外国産は仕入れ値が安いが、土地と水と気温が違うため、日本で使うと変色するからだ。
「原料をブレンドして使い分けているのもおそらくうちだけだと思います」。原料を買いにくる同業者もいるほどだ。
もともと19歳でこの道に入った。しかし15年間勤めた会社が倒産、培った技術とお客様をつなげたいと2008年に自分で会社を立ち上げた。
危機的状況に陥ったのは創業から3年後。師匠と仰ぐ前職の社長に職人の要として入ってもらったが、その師匠とケンカ別れすることに。昔ながらの職人の領域を守ろうとする師匠と、経営者として事業を発展させたい自分との方針の違いだった。
「残念だったが師匠に辞めてもらった。その後職人が3人辞めた。技術力が落ち、仕事を受けようにも回していけない。債務超過ぎりぎりでした」。そこから経営者として本気になった。
今、技術の伝承は職人同士が双方向に記録のやり取りをすることで“見える化”している。そのため顧客とのやり取りから納品までの時間が圧倒的に短くなった。
若い職人のひとり立ちも早い。修復物別に工程管理や収益管理も行ない、事業の精度も上げている。
同業者は京都に集積している。京都で事業をやれとすすめる人も多いが、「京都というブランドにすがりたくない」と大阪にこだわっている。
「国宝や重要文化財を手がける京都の業者に個人の写真やプラモデルの箱を持っていけますか」。心がけているのは町医者のような相談のしやすさだ。
この技術を知ってもらうため、体験型ワークショップも始めた。子どもたちを相手に和紙でミサンガやノートをつくる。
その時に古い資料を見せる。「古いものがこうして伝えられていくんだよ」。
修復の目的は残すことではなく、次世代に想いを伝えることだと思っている。
(取材・文/荒木さと子 写真/福永浩二)