《講演録》22歳の青二才が、売上高50億円企業を作るまで
■ 堀江氏・三木谷氏の社長像に衝撃を受け、起業準備
その翌日、家でテレビを見ていたら、そこには株式会社ライブドア社長(当時)の堀江貴文氏と、楽天株式会社社長の三木谷浩史氏の姿がありました。
20歳の私は、“社長”というともっと年配の方をイメージしていたので、こんなに若い人が社長なのかとものすごい衝撃を受けたのです。それをきっかけに社長業に興味を持ち、それからはいわゆるビジネス本を読みあさりました。
そして、自分ひとりでは世界レベルのことは成し遂げられないけれど、世界中に影響を与える会社をつくり、仮に私がいなくても、会社として社会に貢献できるのではないか、と確信したのです。
すぐに大学を中退し、創業資金を貯めるために就職しました。週3回会社に泊まり込んで猛烈に働き、3年働く予定を1年に短縮して、22歳のときに株式会社フリープラスを創業しました。創業時点で新規事業のアイディアがあったわけではなく、まずは前職で経験したITエンジニア派遣事業を始めました。
やがて、リーマンショックの影響を受け、ウェブマーケティング事業へと転換しました。おかげで収益は安定したものの、これは当初の目的であった“世界企業”ではありませんでした。
■ 世界を目指すビジネスモデルを考案したときに重視したこと
ビジネスモデルを見つめ直した際、私が重視したポイントは3つありました。[1]人と人をつなぐビジネスであること、[2]いきなりグローバルに展開すること、[3]日本を元気にできること、です。
[1]は学生時代のアルバイト経験から、自分が向いていると思ったことです。[2]はたいていの企業は大阪で成功すると次は東京、それから世界をめざしますが、私はいきなり世界に出たかったのです。
また、[3]は当時、日本はGDPで中国に抜かれようとしているときであり、液晶パネルのシェアがどんどん海外に奪われているときでもありました。私はハーフですが日本を想う気持ちは強く、日本を元気にできる事業をしないといけないという使命感がありました。
経験も実績もなく、ひとりで訪日旅行事業を立ち上げ、営業開始から4ヵ月目でなんとか北京から2名の観光客をお連れすることができました。その後に東日本大震災が起こり、周囲からは撤退を勧められましたが、あきらめずに事業を続けてきました。周囲がなんと言っても自分の信念は貫くべきです。
そうして今では、フリープラスは外国人旅行客の日本旅行を垂直的に取り扱うほどになっています。国際チャーター便の手配を専門とする旅行会社と連携しており、観光施設のプロデュースも検討中です。
■ ティール組織への移行でも注目されているフリープラス
弊社はつい先日、ティール組織体制へと移行しました。国内のある程度以上の規模の会社においては、初のティール組織採用だそうで、メディアにも大きく取り上げられました。
現在、私は代表取締役であるものの、社長ではありません。一方、社員全員はフラットな関係にあり、社長と同等の決裁権限をもち、自分の給料の額は自分自身で決めています。ご興味のある方は、私のブログを見ていただければと思います。
(文/原きみこ)
須田 健太郎氏(株式会社フリープラス 代表取締役社長)
1985年マレーシアのクアラルンプールで日本人の父とマレーシアの華僑である母との間に生まれ、幼少期をマレーシア、インドネシアのジャカルタで過ごす。10歳の時に日本に移住。2005年大学に入学するも、成人式の日を境に「世界レベルのなにか」を成し遂げたいと考えるようになり大学を中退し、22歳の時にFREEPLUSを起業。2010年より訪日旅行事業に参入し、2017年に外国人観光客向けの宿泊事業にも参入。2018年、国際チャーター便マネジメント会社に出資。2019年6月には日本でまだ完全に導入している企業がない、ティール組織を導入予定。