創業1887年。アメリカン雑貨を扱う老舗が大切にしていること
バーのネオン、コカ・コーラの瓶をかたどったテーブル、1930年代に発行された写真雑誌…。
倉庫を兼ねた本社ビルの1~3階部分にはアメリカン雑貨が所狭しと並び、その空間に身を置くだけでわくわくしてくる。「商品の種類だけで1万点くらいあるでしょうか」と利治氏。
ここは現金問屋のまち、船場。だが林庄では5年前からWEB上にカタログを置き、取引を原則としてネット経由に切り替えた。そして扱う商品も時代とともに変えてきた。
創業当初に扱ったのは煙管(キセル)で、戦後になるとライターや紳士用品をそろえるようになった。だが、1970年代後半に100円ライターが登場し、市場を席巻。薄利多売の競争に巻き込まれる。利治氏が入社したのはちょうどその頃だ。
「どうせあかんのなら、やりたいことをやろう」と目をつけたのがアメリカン雑貨だった。「たばこ、国内という狭い視野から解放されて発想が自由になった」。
全国から船場に仕入れにやってくる店主たちが軒先の商品に目を留めてくれた。アメリカン雑貨ブームを追い風に、扱い商品をさらに増やしていった。一方で売上げが減り出すと豊富な在庫はリスクに変わる。「これで安心やと思ったことは一度もない」と利治氏。
そんなときいつも胸に秘めていた商売の鉄則がある。「三方良し」ならぬ「三方おもろい」。
「自分がおもろいと思えるだけでなく、お客さん、世の中がおもろいと思ってもらえるものなら必ず受け入れられるだろう、と。おもろいをさらに分解するとユニーク、ユーモア、ユースフルの3つのユに行き着く」。
実務を取り仕切る息子で専務の宏樹氏は、アメリカン雑貨のみならず新たな事業開発も模索している。
つい先日は数十年前の取引先から電話があった。林庄の卸先に喜ばれそうな商品を仲間が扱っているのだがどうだろうかという話だった。ものは除菌消臭剤。「林庄が築いてきた歴史、信用があればこそそうやって思い出して声をかけていただける」と宏樹氏。
「アメリカン雑貨にはこだわってはいない。仕入先と卸先をつなぐコーディネーター役こそがうちの仕事ではないか」と思えるようになった。
その時に大事にしているのが、「3つのユ」だ。「どこに卸せばおもろいと思ってもらえるか。そう考えている自分がうきうきしているのがわかる」。
そんな宏樹氏を利治氏はどう見ているのか。「扱う商品は時代とともに変わっていい。駅伝のように、各区間の選手がそれぞれの持ち味で走り、たすきをつないでいくことこそが大事」。第5走者から第6走者へのメッセージだ。
(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)