変化が速い時代 だからこそセオリーに立ち返る
国産第1号の電子顕微鏡を開発
「HANDEX」ブランドの解剖関連機器メーカーとして先頭を走る。主力商品の一つが、司法解剖の際に使われるステンレス製の解剖台だ。医師が菌に感染しないように、解剖台の脇の部分に空気吸入口が設けられており、天井から出てくる空気がエアカーテンとなって遺体との間を遮る。排出された汚染空気や解剖の際に生じる体液を無菌化するまでのプロセスをシステムとして提供し、これに伴う天井部、床下の施工まで行うエンジニアリング力も同社の強みだ。事件性が疑われる遺体を調べ、犯罪の可能性を検証するのが司法解剖の役割だが、解剖医の不足などから日本では司法解剖が必要とされる遺体数の1割強しか解剖できていないのが現状。「当社の機器が犯罪を減らすことに少しでも貢献できれば」と河崎氏は言う。
白井家が道修町で薬種商を始めたのは1716年にまでさかのぼる。12代目白井松之助氏が、西南の役で出た大量の負傷者が苦しんでいるのを見て1872年(明治5年)に医療器械商に転じたのが同社の創業だ。当初はドイツやオランダから輸入した医療機器を扱っていたが、その後刀剣師、鉄砲鍛冶を指導して外科器械の国産化を推し進めた。当時から大学の研究室に足しげく出入りして医師の指導のもと数多くの商品を開発し、1941年には国産第1号の電子顕微鏡を完成。また、戦後、病理、解剖分野で独自商品を開発。1955年にはタンパク質などを分離、抽出するための佐野式高圧濾紙電気泳動装置を商品化し、大きく売上げを伸ばした。「現場の医師や研究者のニーズをもとに様々な商品を送り出してきた成果」だ。
現場力とリーダーシップは普遍のセオリー
5代目以降、経営権はオーナー家の手から離れ、3年前に社長に就任した河崎氏で10代目の社長となる。入社したての頃営業の現場で「白井松」の高い知名度に驚き、先人の築いた努力の上に会社があることを実感したという河崎氏。だが、同社がメインを置く医療、バイオテクノロジー分野の進歩はますますスピードを増している。「老舗の名前に安住していては将来はない」という危機感の下、河崎氏が社員に説くのは「現場に足繁く通うこと」。原点は営業本部長時代に自ら動いて体得した営業術にある。「営業の成果は営業力と商品力の掛け算。営業力は営業量と質に比例し、『営業量は訪問回数×提案回数』に分解できる。つまるところ、どれだけ訪問し提案できるかがカギを握る」。
同時に重要なのが「リーダーシップ」という。河崎氏は社長就任と同時に社長室を閉鎖し、営業フロアに自らの机を移した。各大学、製薬会社、医療機関への営業は担当者とともに自らも同行する。「私自身も現場のニーズが分かるのですぐに商品化の判断が下せる。担当営業とともに飛び込み営業もいとわず、時に冷や汗をかくような体験を共有することで社員との距離も近付く」。自ら営業の第一線で体得してきたことを実践しているだけだが「多くの経営書を見ればセオリーとされることばかり」と河崎氏。「我々の先人が現場で医師や研究者の声をもとに次々に商品を送り出してきた頃から実はやってきたこと。時代は変わってもやるべきことは変わらない」ことを再認識したという。
5年前から「ニッチナンバーワン」をめざして取り組んできた解剖関連機器は成果が目に見えて表れつつある。その自信をベースにもう一つの柱である病理関連機器でも「現場力」と「リーダーシップ」を生かし商品開発力を強化しようとしている。
▲国産第1号の電子顕微鏡。
▲明治に大阪道修町で創業した薬種商。
▲天井にクリーンエアーシステムを組み込んだバイオハザード対策用の解剖台。
白井松器械株式会社
代表取締役社長
河崎 浩氏
病理・解剖分野を中心とする理化学機器を「HANDEX」ブランドで製造・販売。バイオテクノロジー関連機器、工業系機器の販売も行う。取引先は、大学、製薬会社、医療機関がそれぞれ3分の1ずつを占める。