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【ロングインタビュー】徹底的に自分に向き合って出した答えは「妻、母、経営者」

2014.12.10

 

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―どんなビジネスを始めようとしたのでしょうか。

子育てのことも考えると自宅でできるネットショップはどうかなと。そうしたら夫が楽天市場っていうのがあるよと教えてくれたんです。独立した2001年は、ネットの料金が従量制から定額制に変わったころでブロードバンド時代の到来、という追い風も吹いていました。その日のうちに本屋に行って「インターネットでお店やろうよ」という本を1冊買って読むと、楽天市場でお店を出すには法人格でないとだめということを知ったんです。

会社にすれば、自分で自分を雇って保育園の雇用証明も出る。現実的な理由も重なって、次の日には会社を立ち上げる本を府立図書館で5冊借りてきました。もうそうなったら止まらなくなって、起業した人の9割はつぶれるなんてことも知らずに、怖いもの知らずで突き進みました。ベビーカーを引いて泣く次男をあやしながら法務局や銀行で手続きしていると、男性ばかりの空間だったせいか、冷ややかな視線を感じました。でも、一切気にならなかったですね。やっと好きな事ができるのですから。

ちょうどそのころFM大阪で「リスナーの中から2組を韓国旅行に招待」というキャンペーンをやってて、メールで「夫と韓国で出会って結婚して2人の子どもが生まれたけれど、出産後は子育てに追われて韓国に行ってません。久しぶりにソウルでデートしたいな」という内容で申し込んだらなんと当たったんです(笑)。まだ次男が1月に生まれたばかりで、旅行は6月。まだ授乳中だったのですが、子どもを理由に行かなかったら後できっと悶々とするだろうと思って、親に子どもを預けて思い切って行くことにしました。滞在時間をひたすら仕入れに充て、茶器やら雑貨やらを買い込みました。デートのはずが仕入れ旅行になりました(笑)。商売をしたことがなかったので仕入れも今思うとひどかったと思います。
そうして最初は韓国のアンティーク雑貨の販売から始まったのです。

―ショップをオープンしてから商品は売れましたか?

店を開いたら自動販売機みたいに勝手に売れると思いこんでいたのですが、1カ月以上まったく注文がありませんでした。だから最初の注文はホントに嬉しかった。今でもお客さんの名前も都道府県も覚えてるくらい。納品書の書き方とか、写真の撮り方もわからなければ、メールマガジンの書き方も知りませんでした。もともとなんでも調べるのが好きで、文章でちゃんと情報を伝えようと気持ちで発信し続けていたら、売上げも少しずつ上がりました。1年半で当面の目標だった月150万円の売上げを達成したんです。

でものめりこむタイプでね。根をつめすぎて倒れたこともあったし、自分のおしゃれなんか捨てていました。毎日3時に起きて夜9時には寝て、6時間で脳が回復すると思い込んでやっていましたね。でもね。家族を犠牲にして自分だけやりたいことをするのはおかしいなあと思い始めて。最後の決め手になった出来事があって「もうやめよう」と決めました。片付けたカッターを次男がたまたま握ってしまって大けがをしてしまったんです。これはあかん、と。それで在庫を売り切って空っぽにして店を閉めたんです。

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―そこで仕事はもうしないと決めたのですか?

専業主婦に戻るつもりでした。ところがね、まだ楽天市場の契約を更新したばかりで、まだあと半年ショップのURLだけは生きたまま残ってたんです。もし契約が切れて、URLも消えてたら永遠にやり直していなかったでしょうね。それで、専業主婦に戻ったときに冷静に考え直すと、こうやったらもっとうまくいくかもとかいろいろアイデアが浮かんでくるんですよね。閉店セールから学んだことも多かった。やっぱり人がやってへんところで勝負せなあかんなあ、もう靴やバッグは店が多いから、ヘアアクセサリーやったら誰もやってへんからどうやろ、と。そのことを周囲に話すと、ヘアアクセサリーの市場は小さいから難しいんちゃう、とだいぶ反対されました。

だけど、やってみなわかれへん。女性がフォーマルの場でするヘアスタイル「夜会巻き」をつくるコームの原型が韓国にありました。ただそれは壊れやすかったので、もっと丈夫に作り直せば売れるんちゃうかなあ、と。「夜会巻きコーム」と名づけて売ることに決めたんです。それで自宅で自分の髪を夜会巻きにして後ろから夫に撮ってもらった写真を商品ページに掲載して、ヘアアクセサリー専門店として店を再開しました。2004年のことです。だから、その写真はいまも名刺に使っているんです。そのときの自分の思いを忘れてはいけないと思って。

―現在ではご主人も会社に。

夫は、私が雑貨店をやっていたころから、会社から帰ると梱包を手伝ってくれていました。当時はまだ自宅ですべてやっていましたので。今でこそ16時までに受け付けた注文は当日配送していますが、当時はまだ次の日の配送でもよかったので、夜遅くまでかけて発送作業をしていました。ヘアアクセサリーの店を始めてしばらくして夫が東京へ転勤することが決まったんです。それでどうしようかと話し合いました。私は仕事が軌道に乗り始めたところだったので、大阪を離れたくない。そのことを話すと私の会社を手伝おうかなということになって。食べていけるかなという不安はあったのですが、まあ2人とも前向きなので、大丈夫やろ、死なへんわ、と(笑)。それで夫に社長になってもらうことにしました。

ただ、そうなるとますます月商をしっかり確保しないといけません。当時、夢の数字といわれたのが月商1000万円。単価の安いヘアアクセサリーでは到底無理だと言われていました。客単価が3000円だとして1日30万円、すなわち毎日100件分配送しないといけないわけですから。それならいっそのこと配送をやめてみるのはどうか。そうして考えついたのが、商品を取り置きできる機能です。

すぐに配送せずに、一定の期間買い足していける仕組みにしたのです。こちらにしてみれば同じ方に頻繁に何度も送ることで生じる発送作業の負担が減らせる。お客さんにしてみたら翌日からセールになった商品を見たときに、ああ待てばよかったということがなくなる。お互いメリットがあり、この機能はとても好評でした。

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―夜会巻きコームの反響はいかがでしたか。

他になかった商品、さらにうちが初めてのヘアアクセ専門店ということで、一気に大ブレークしました。最初はコームを知ってもらおうと1円になるのを覚悟でオークションにかけて、まず2500円の価格をつけたら、出した先から満額で落ちていきました。そこから月商1千万円になるのに半年ほどです。2千万円を1年、3千万円を1年半ほどで達成しました。ヘアアクセに商品を絞って以降、寝る時間はありません。

システムが売上げに追いついていかずに誤配やらメール対応やら、トラブルが頻発しました。そこでスタッフには朝8時に来てもらって終電まで働いてもらって。今で言えばブラック企業なんでしょうけれど(笑)、みんな文句の一つも言うことなくがんばってくれました。立ち上げ時のメンバーとは特に思いがひとつで、今も仲がいいですね。

自宅は3階建てで1階の一部屋を事務所にしましたが、手狭になって車庫を倉庫に改装しました。商品が増えて3階部分にまで商品が積みあがって、生活ができなくなるような状態でした。毎日夕方5時に宅配業者が来て100個単位で持っていってくれるのですがそれでも間に合わない。直接、配送会社の営業所に持ち込んだら夜10時まで受け付けてくれるので、毎晩車で直接持ち込みました。

上の階で子どもたちのために食事やらの用意をしていても、1階から在庫がなくなったと電話が入ると、すぐに飛んでいってどれだけ時間がかかってもお客様対応のメールを書いたりするような毎日でした。マーケティングのことはよく知らない。でも、自分がお客様ならメールでこういう対応をされたら嬉しいだろうとか、ヘアアクセを買うならその前にヘアアレンジの仕方を知りたいだろうなとか、自分に置き換えて店を運営していました。

そのうち自宅が手狭になって引越さなあかんということで、一度引っ越ししましたがそれも手狭になり、体育館のような事務所に移りパートさんも25人に増えました。最大で1日1,000件ほど発送したこともあります。コストのことを考えると配送を外注する勇気がしばらくなかったのですが、次の事務所に移る時に、配送業務を外注にし、変動費化しました。

―仕事と家庭の両立は大変ではなかったですか。

姑さんが自宅から5分くらいのところに住んでいるので、すごく支えてもらっています。私がぶっ倒れながらでも仕事しているのを見て、本気でやっているんやなというのは見てくれてはると思います。

私はほとんど料理をする時間がなかったですね(笑)。姑もフルタイムで働きながら男の子ばかりの3人兄弟を育てた人です。「注文があることはええことや。早よ行き」といつも言ってくれて。毎日うちに朝7時くらいに来て、子どもたちを学校に送り出してくれました。姑はさっぱりした人で「私には何も返さんでいいから、この2人(息子)に奥さんができたときに、全部返したり」と。本当にありがたいことです。周りの協力があってこそ働けるのです。

―ご夫婦の役割がうまくできているように見えます。

夫と私は考えるポイントが全然違うんです。私は商品やサービスを企画したり、それを情報発信したりして、ソフト面からどうやって売上げを上げたりお客様のお役に立てるかを考える。夫は受注から発送までの時間をいかに速く、安く、効率よくするためにシステム化するハード面が得意です。売るほうはそれが楽しいからつい先走って夢を追ってしまうけど、向こうは立体的に冷静に物事を捉える。夫が社長として前に出る状況のときは私は参謀、私が前に出る状況のときは、夫が参謀です。

それが二人の強味でもあるんですが、お互い自分が正解だと思ってるから(笑)、今でもよくけんかしています。2人ともエネルギー値が高いから、衝突するとしんどいんですよ。でも夫の悩んでいるところを見たことがありませんし、私よりかなり強いです。ぶれへんし、決断力のかたまりみたいな人です。私が疲れてリビングで寝てたら「何甘えてんねん、起きろや」って言うような人ですから(笑)。この間は120kmの山走りに行っていました。標高の合計は8300メートルでした。今度は300kmのレースを走る権利を得るために、参加条件である「2千メートル級以上の山で20泊の夜営」を一緒にしようといわれています(苦笑)。

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―2人の息子さんはお母さんのことをどう見ているのでしょう。

上の子が小学校3年のときに、「ママ、世界一のお金持ちはビル・ゲイツと教わったけど、どうして?」って聞いてきたんです。そこで私は「みんながパソコンを使えるようにした人で、ものすごくたくさんの人が幸せになったから、その結果としてうなるくらいのお金が入ってきたのよ。泥棒は幸せなこと考えてないからお金はそのときだけしか入ってこないでしょう。だから、たとえばがんを治したり、地球温暖化を防いだりする人が出てきたら、その人はたくさんの人を幸せにするよね。だから、その結果としてお金持ちになるの」と答えました。

そして、「なにか1個だけ得意なことを持っていたらいいし、自分で生きていくことが大事だ」と伝えています。私が37歳のときに初めてフルマラソンに挑んだのも、この歳になっても挑戦しているお母さんを見せたかった。息子たちが同じ年齢になればわかってくれるのかなと思っています。

この間タイで関わった仕事がたまたまヤフーニュースで上がっていて、その写真を見て次男が、「母が海外出張中。ヤフーに載ってる」って友達のLINEに写真と一緒にアップしていたそうです。その投稿をほら、と見せてくれた時はうれしかったですね。

仕事は忙しかったですが、限られた時間の中で絵本を読んだりして向き合ってきました。あとは長男が3、4、5年、次男が1、2、3年の3年間毎年北海道で100km完歩するイベントに参加しました。二人とも3年生くらいまでは途中で泣いてしゃがむんですけど私は「とりあえずいこう」と。

でも子どもって不思議なもので、大人から「がんばってるなあ」とほめてもらうと、その人が視界に入ってる間だけは走るんです。ああ、褒めて励ましてあげるって大事やな。可能性を否定したらいけないんやなあと思いました。

―文さんのエネルギーの原動力は?

在日コリアンとして社会的に少し障害があることは聞いていましたし、人の2倍、3倍やってやっとスタートラインに立てると思え、と父に言われて育ちました。それを聞いて落ち込む子と、「やったろ」という子とに分かれるのだと思いますが、私は後者でした。父は厳しくて怖くて、谷底に突き落とすタイプでしたけど、それが私には合っていたんだと思います。小さいころは引っ込み思案でしたが、中学、高校でバスケで表彰され始めると、ちょっとずつ自信がついていったのかもしれませんね。

世の中の女性や若者にがんばってほしいと思うんです。私自身、何もできなかったし、起業をするつもりもありませんでしたが、そんな私でもやってこれたということを伝えたいですね。民族的マイノリティであること、男性社会の会社で女性総合職として働いたこと、働く母として起業したこと。いろんな意味で私はマイノリティの塊ですが、だからこそ見えるものもたくさんあった。社会的マイノリティの人たちにエールを送っていくことが私のこれからの使命だと思っています。

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(取材・文/山口裕史 写真/福永浩二)

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→マイノリティは強み「自分で自分を雇用する」

リトルムーンインターナショナル株式会社

取締役副社長

文 美月 氏

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