《講演録》夢は自動車メーカーの立ち上げ!電動バイクメーカーの挑戦

■ 軌道に乗り出したときに、まさかのリーマンショック。そして中国への旅立ち

当時は自動車販売だけで経営を成り立たせていましたが、ネットで販売するのであれば日本だけではなく、世界を相手に販売するべきだと思い立ち、2006年頃からメールだけで海外との取引を開始しました。

同業者や周りからは無謀だと笑われたものの、月に2、30台売れるようになり、自信を持ったことから新会社を設立しました。

 
苦労し資金を集めて会社を立ち上げたものの、いざこれからというときにリーマンショックが発生。輸出が好調時には1ドル125円程度でしたが79円まで下落、すべての取引先がなくなり絶望的な状況に陥りました。

そこで「この円高を利用して輸入サイドで商売できないか?」と考え、以前からカーショップなどで「メイドインチャイナ」とどのブランドの裏にも書かれていたことを思い出し、中国にひとりで旅立つことにしました。

 
当然ながら中国にはまったくアテはありませんでした。旅立つ前にお客さんに中国人留学生がいたので誰か紹介してくれないかと頼み、彼の知り合いで車関係の仕事をしている人物を紹介してもらいました。

帰国時にスーツケースに詰め込めるだけ詰め込んだ自動車部品を日本で販売したところ、中国の物価の安さや円高の追い風もあり、なんでも売れました。その後、商材を絞って戦略化していくうちに、自分たちの会社のビジョンが明確になり、現地に会社を設立するまでに至りました。

 
■ 運命を変える出会い。メーカー構想の確立

あるとき取引先の先輩に一冊の本をもらいました。それは通信業界のリーディング・カンパニーである株式会社フォーバルの創業者、大久保秀夫氏のものでした。

ベンチャーという言葉もなかった40年近く前に初めてベンチャー事業で起業した彼の言動や哲学に感銘した私は、彼の講義を聞くために全国を飛び回りました。

その熱意を認められたのか彼の一番弟子にさせてもらえることになり、基本となる経営のスタンスを学ばせていただきました。どれもこれも実のある充実した内容で、現在の私の礎となっています。

 
それまでは、なんとなく車のパーツを作り売ってきましたが、大久保氏の元で学んだことでメーカー構想というものが明確になり、最終的には乗り物そのものを作る、もしくは乗り物に関するサービスを提供できる会社になろうと自分の中で定まりました。

この想いを具現化するために社内で話し合い自社ブランドを立ち上げることになります。社内コンペを開き、社員の提案でブランド名が「glafit」に決まったのが2012年でした。

公式オンラインショップで限定販売された特別カラーの「ウメボシレッド」。

次ページ >>> 着想から製品化に至る上での困難とクラウドファンディングでの成功

ページ 1 2 3
2019年09月13日
glafit株式会社
代表取締役  
鳴海 禎造氏
事業内容/電動バイクの製造・販売

今月の町工場で働くオトコマエ

ゲンバ男子

地域から選ぶ

情報誌Bplatzpressから選ぶ

創業年から選ぶ

業種から選ぶ

ライターから選ぶ

テーマから選ぶ