ほっとけば小さくなる だからこそ変わらなければ
ガチャン、ガチャン、と鉄を切断する加工機の大音量が響く工場。その一角の「休憩室」と書かれたこぢんまりした部屋にその機械は置かれていた。正体はレーザー加工機。ある時は模型クラフト紙のカット、またある時は木箱の名入れを音も立てずにスイスイとこなしていく。本業の金属加工と違って、切る材料もサイズもまるで違う。「金属加工の仕事はこれからどんどん先細りしていく。だから一旦“金属”という言葉から頭を離して、まったく新しいことを始めなければと思った」と樽木氏は4年半前に機械を導入した時を振り返る。
大学卒業後、広告代理店に勤務するも肌が合わず2年で辞めた。「ふらふらしてるんやったら」と、曾祖父の時代から続く町工場で働くことを父に促された。「正直、入りたくて入ったわけじゃなかった」。中学生の頃にアルバイトで父を手伝った時と比べると、仕事量の差は歴然だった。先行きへの希望が持てず、悶々と時が過ぎた。
だが、仕事に慣れ、取引先の人から「ありがとうな」「無理言ってばかりでごめんな」と温かい言葉をかけられるうちに別の感情が湧いてきた。「父が築いてきた信頼のおかげで今の自分があるんや」。父、社員、地域の人への感謝と恩返しの気持ちが芽生えた。気持ちを見透かされたかのように父から後を任され、社長になったのは26歳の時だった。
「社員として守られる立場から社員を守らなければならない立場になり、がらっと意識が変わった」。いい時代を知らないから、とふてくされるのではなく、それを危機感に変えた。「ほっといたら小さくなる。だから、常に変わらなければと思える。それが強みかも」。リーマンショックで大幅な受注減に直面したのはちょうどレーザー加工機を導入した時。そこでも「新たな機械の使い方を覚え、新たな取引先をじっくり獲得するための時間」ととらえ前を向いた。今では売上げの10%を、レーザー加工機を使った製品が占めるまでになった。
銀行から融資を受ける際、個人保証の印鑑を押す時は「今でもやっぱり恐い(笑)。不安な気持ちがないと言えばうそになる」と吐露する。一方で「本業をガラッと切り替える思考は常に持っている。それは僕にしかできないこと」。現状に満足はしない、そして変化を恐れずに時代を乗り切る覚悟だ。
有限会社ハイ・メタル
代表取締役
樽木 高人氏
設立/2005年(1953年 樽木ブリキ設立)
従業員数/5名
事業内容/鋼板を寸法通りに切断し金属加工業者に卸すシャーリング加工が主力。新規事業としてレーザー加工機を使ってペーパークラフトなど自社商品も展開している。