88年変わらないことが 安心を生むロングセラー
誰もが知る赤いパッケージの石けん。1928年の発売以来、数々の時代の波を越えてきたロングセラー製品。それが牛乳石鹼の「赤箱」だ。
成分や製法は当時からほぼ変わっていない。食用にできるレベルの国産牛脂や、やし油を使用し、職人の経験・技術を必要とする「釜だき製法」で、一週間かけてできあがる。固形石けんとしての売上げは全国でトップ。年間1億個以上のすべてが、大阪市内にある工場で作り出されている。
工場は一度、空襲により焼けた。しかし、可燃性の香料をあらかじめ土の中に避難させていた社員がいたため、戦後の混乱期に先駆けて良い香りのする石けんを復活することができた。お風呂に入るわずかな時間だけでも人々に笑顔を取り戻せたことは、今でも社内で語り継がれ、同社の大切な原点の一つになっている。
90年近く人気を維持する秘訣は、「変わらないことが安心を生む」という同社の考え方にある。他社に比べて多くの新製品をあえて出さないのも、「売れ行きにかかわらず、一人ひとりの愛用者と丁寧に向き合いたい」という姿勢によるもの。
現在では「赤箱」以外にも多くのシリーズの商品を展開するが、それぞれが数十年レベルのロングセラーになるまでじっくり育てたものばかりだ。
原料や製法、パッケージなど主要な部分は変えないが、幾度もマイナーチェンジを施してきた。高齢者でも持ちやすいようひと回りコンパクトなサイズに。家族数の減少を考慮し、1〜2個から購入できるようなサイズも追加した。
赤いパッケージに描かれる牛のイラストやロゴマークなどのデザインも世相を反映して少しずつ変化させている。70年代のオイルショックの時期には、「少しでも華やかさを」とリボンのあしらいを加え、近年は国産表記を入れて安心感をアピールする。
固形石けん自体の使用者数は減少しているが、牛乳石鹼の販売量は落ちずに上がっている。愛用者の多くは高齢になり、若い世代は、子どもの頃にお風呂場にあった白い石けんが「赤箱」だと知らないことも。
そこで、5年前から「ファン作りプロジェクト」を社内横断で立ち上げた。一般消費者はもちろん、従業員とその家族、取引先、地域の人々までを対象として、工場見学や社内参観、お風呂にまつわる「川柳コンクール」などの啓蒙活動を続けている。
また、スノーボード選手やボルダリング選手、女子ラグビーの大会のスポンサーになるなど、「汗をかく」若い世代の目に触れる機会を増やすとともに、本社のある城東区内の小学校や幼稚園では、手洗いの大切さを伝える出張授業なども行っている。
根幹である品質は変えない。赤箱生誕100年にむけて、これからも牛の歩みのごとく、後退はせず、堅実にねばり強く前に進んでいく。
(文・写真/衛藤真奈実)