化粧品と雑貨を融合したネイル新ジャンルを確立
石井氏は大手繊維メーカー系商社でニューヨークに駐在していた経験を持つ。退職後その経歴を買われ、化粧品卸会社から米国からの化粧品輸入を任されたのがこの業界と関わるきっかけとなった。その会社の経営が傾くと、今度は主要仕入先のスポンサー企業から「石井さんが社長をやるなら応援する」と言われトップのイスに就く。
だが、ドラッグストアやスーパーに、ファンデーションからマスカラまで棚ごと一式そろえて提案するビジネスは過当競争を強いられた。思い切ってスポンサー企業との関係を絶ち、2002年に再スタートを切ることにした。
「化粧品業界の素人、後発、体力なしの三重苦」の中でどう生き残りを図るか。石井氏が出した答えはネイルカラーとネイルスティッカーというネイル周りだけに絞り込むことだった。「化粧品(ネイルカラー)と雑貨(ネイルスティッカー)を同時に扱うこと自体、当時の業界では考えられないことだったが、斬新だと全国のバイヤーが応援してくれた」。
10~20代の若い世代向けの「pa(ピーエー)」に、20代前半の大人を意識した世代をターゲットにした「eternal basic」ブランドも加え順調に卸先を増やしていた矢先、仕入先のOEMメーカーの信用不安に悩まされる。
石井氏は、他のOEMメーカーを探す道を選ばず、岸和田に自社工場を建てる決断を下す。「事業の生命線である商品の安定供給を他社にゆだねるリスクを避けたかった」。結果的にOEMメーカーという新たな事業の柱も確立できた。
ネイル商品に加え、現在は目もとを際立たせる「二重(ふたえ)」関連の商品も扱う。500近い商品の在庫管理は、スタッフが時々の流行り廃りを見極めながら判断しなければならないなど極めて高い専門性が求められるビジネスだ。
加えて大手が食指を伸ばすほどの市場規模はない。現在のビジネスモデルを「参入障壁の高いブルーオーシャン」と石井氏が位置づけるゆえんだ。現在納入店舗の数は「pa」で2100以上、「eternal basic」も470以上にまで増え、他社の追随を許さない。
2015年には岸和田に第2工場と物流倉庫を完成させた。今後は国内でさらにブランドを確立していくと同時に、すでに足がかりを得ている台湾、ASEANを中心に「メイドインジャパン」で海外市場のさらなる開拓にも挑む。輸出入でビジネスの基礎を培った石井氏の本領が発揮されるのはまさにこれからだ。
(文・写真/山口裕史)