先代との違いを受け入れることで見えることがある
ある日、突然告げられた社長交代
当社は私の父である会長・山本晴敏が1953年に創業しました。私は子どもながらに将来、会社を継ぐことを意識していましたが、父から「継いでくれ」と言われたことはなく、大学卒業後は大手総合商社に就職しました。5年が経ち、仕事は面白かったのですが、父の年齢が気になりはじめたこともあり、家庭を持ったタイミングで、父の会社に入社しました。
次長という役職についたものの、与えられた仕事はなし。商社時代と比べて商売も小さいし、当初は辞めたことを何度も後悔しましたが、仕事を覚えるために、立ち上げ間近で忙しかった医療機器部門で仕事に没頭しました。その後も開発部門を立ち上げるなど、新しい取り組みに力を入れていたある日の取締役会で、社長交代は突然告げられたのです。
先人から受けたバトンを次の世代につなげていたい
社長就任後は古い体質を一新しようとCIの導入や組織改革、事業部制の導入など、改革に力を入れましたが、ことあるごとに会長と衝突するんです(笑)。5年間は、会長と並走している感じで、社内にトップが2人いる状態。この状況を打開するために、会長と密にコミュニケーションをとることにして、毎日一緒に出勤しました。親子とはいえ、経営に対する考え方や判断基準は大きく違います。会話を重ねることで創業者の思いを理解していくことができたと思います。
意見や考え方の違いによる葛藤は、血縁関係でも他人でも必ずあるもの。後継者はまずそれを受け入れて、自分のできることをやっていくしかないと思います。先代は次第に体力も精神面も下り坂になりますが、こちらは経営者として少しずつ成長する。力関係が逆転する日がくるんです。でも今、考えると父が並走してくれたことは、社長職を引き継いだばかりの私には、とても心強かった。社長交代には、10年はかかると思いますよ。
私が社長として取り組んでいることは、事業の方向性やポジショニングがずれないようにすること。高周波加熱という特殊技術を武器に、中小企業らしくニッチながら将来性の高い分野に取り組むこと。特定の業界や企業に特化しないバランスも必要です。だからこそ不景気による落ち込みもなく、高収益を続けられると思うんです。経営を任された今、技術を後世に残し、技術を通じて世の中に役立つ事業を続けていきたいと思います。父や先輩らが世に送り出したものを次の世代へとつないでいきたいですね。
山本ビニター株式会社
代表取締役社長
山本 泰司氏
創業時はビニールフィルムの卸からスタート。その後、手がけた溶着加工機械の製造で、事業の根幹である高周波加熱技術に着目。現在、建材、食品、医療、プラスチックなど幅広い産業で活用される高周波加熱による加工機械を提供。