歴史はお金では買えない価値。150年続く六代目和菓子屋の使命は「七代目へ引き継ぐこと」
父に伝えた家業を継ぐ決意
井上氏は就職活動を控えた大学4回生の時、自分から六代目を引き受ける意思を父に伝えた。「父は違う道をめざしていたにもかかわらず祖父から家業のレールに乗せられたようです。その反動があったのか、兄、私、弟に一度たりとも継げと言ったことはありませんでした。でも、3人のうち一番商売に向いているであろう自分が両親の力にならなければと思って」と、当時を振り返る。
「いずれは百貨店に出店したい」と考えていた井上氏。そのノウハウを学ぼうとデパ地下で実績のあるチョコレート菓子メーカーで5年間“修業”を積んだ後、浪芳庵に入社した。勢い込んで旧来の和菓子の枠にとらわれない新商品開発に挑んだものの、保守的な先輩社員の目は冷ややかだった。「独立してイチから起業したいと何度思ったことか」と苦笑する。
その後、前職での人の縁もあり、徐々に百貨店のイベントに出店しないかと声がかかるようになった。そのイベント会場である日、高齢の女性が井上氏に話しかけてきた。「あの浪芳さんか。うちのおばあちゃんにようお遣い頼まれてなぁ」。その言葉に「衝撃を受けた」と井上氏。「1858年の創業以来、初代から積み重ねてきた歴史はお金では買えない価値だ」と、
あらためてのれんを守る覚悟が固まった。
先々代との思い出話を懐かしそうに話す人もあった。「人の心の中に残って語り継がれるおじいちゃんはすごいなぁと。自分も誰かの心の中に残る存在にならなければ」。そう心に誓った。
井上氏と同世代の工場長に替わると、やりたいと思っていたことが形になり始めた。販売スタッフも若返りが進み、思いを後押ししてくれる人が社内に増えていった。
原点の生菓子に回帰、「七代目へ引き継ぐこと」が最大の使命
「お菓子はできた時が一番おいしい。保存料を使わない『ちゃんと腐るお菓子』を作ろう」。工場長と思いが一致した井上氏は、それまで焼き菓子中心だった品ぞろえを、和菓子の原点である生菓子中心に変えていくことになる。3年前、本店が分かりにくい場所にあることから移転することも考えたが、「工場で作った商品をすぐにお店で出せるように」とあえて今までの立地にこだわった。改装に合わせ、さまざまな新商品を送り出した。餅の中にたれを包み込んだ「みたらしとろとろ」、どら焼きの中に生クリームを入れた「生どら焼き」は今、2大看板商品に育っている。
新たな和菓子づくりに挑む姿勢が新たな顧客開拓につながり、多くの百貨店から出店要請が絶えない。10年5月には、青森のショッピングモールへ、また11年春にはJR大阪三越伊勢丹への出店も果たした。だがおごることはない。代々受け継がれている哲学は「商売を広げすぎないこと。誠実な商売をすること」。
足もとの地域にもしっかりと目を向けている。本店の敷地では井上氏が鬼役になって追いかけられる節分の豆まきや、ちびっこ相撲など、地域の子どもたちが楽しめるイベントを行っている。隣接する「なみよし学び庵」では和菓子体験教室や書道教室も開いている。「ここに来てくださる人たちがいつか“あの浪芳さん”と懐かしがってくれるように」との思いからだ。
今、井上氏にとっての最大の使命は「七代目にバトンを渡すこと」ときっぱり。「三姉妹の娘のうち小6の次女が“七代目は私がやる”と言ってくれてるんです。私と違ってしっかりしてましてね…」。優しい笑顔が一層ゆるんだ。
浪芳庵株式会社
代表取締役社長
井上 文孝氏
創業/1858年 従業員数/30名 事業内容/みたらし団子やどら焼きなどの和生菓子を中心に、一部かりんとうなどの焼き菓子も手がける。大阪市浪速区の本店のほか大阪、青森に計4店舗展開している。