【ロングインタビュー】オカンの残した「宝」を守る 元プロバスケ選手の転身
―早くから事業承継のことも言われていたのですか?
大学ではバスケットボールに打ち込む日々で。部活の練習が終わるのが夜の9時半でそれから仲間とご飯を食べて帰ると深夜になるのですが、おかんは待っていて、日報の見方や数字の合わせた方を毎日教え込まれました。「大阪の式場はあんたがやるんやで」とそのときからは言われていましたし、社員にもそのことを公言していたようです。「おれバスケしかやったことないから」と弱音を吐いたときには、「経営もチームスポーツやからあんたやったらできる」と励ましてくれました。
大学を出てからプロになる気持ちはなかったのですが、オファーがきたので受けることにしました。そこに行く前に1カ月ほど会社を手伝ったことがあります。毎朝、ビルの前を掃除して、通りの人にあいさつをしました。そして、社員の誰よりも早く来て、遅くに帰ることも教えられました。「経営者の家族は100%ではあかん。120%、150%仕事して、初めてまわりが認めてくれるもんや」と言っていました。
それでも母が亡くなって、おやじももう70を過ぎましたから、そろそろ帰ってこなあかん、ということでね。おかんのおかげで、すんなり会社になじむことができました。
―お母さんの教えは大事に守っているのですか。
朝一番に出勤し、ビルの前に立って「おはようございます」とあいさつしています。通りを毎朝歩く方もあいさつを返してくれるようになりました。あいさつすることで繋がりが生まれ、すぐ先に専門学校があるのですが、そこの宴会が1件入り、証明写真のお仕事も10件ほど依頼がありました。毎朝のあいさつのおかげかもしれません。
仕事をしているとことあるごとに、おかんやったらどうするかな、って考えます。とくにチャペルは母が思い込めて作ったものです。今でもおかんの魂を感じます。「お客様を一番大切に」と考えていたおかんが工夫してきたことを大切にしながら、新しいものを取り入れていかなければと思っています。
僕が入社してから、社員をキャストという呼び方に変えました。僕らはチームで仕事をしているわけですし、お互い言いたいことを言い合ってよりよいサービスを提供していきたい。これもアットホームさを大切にしていた母の思いを継承してのことです。
もちろん父もすごいんです。父は72歳になった今も毎日出社しているのですが、僕が継ぐと決まった翌日から朝晩来るけれど一切口を出さない。祖父が口うるさかった人で困ったらしく、そのことを痛いほどわかっているのでしょう。
―新たな事業も考えているのでしょうか。
少人数で格安の結婚式は大手もだいぶ参入して競争が激しくなっています。ハード面では大手にとうてい勝てないので、ソフト面でさまざまなアイデアを考えていこうとしています。家族や社員と力を合わせ、他では出来ないサービスを提供したい。たとえば、50名以上であればビル1棟貸し切りにするサービスもそのひとつです。
花嫁や花婿の側に立ってアテンドをしたり、おそろいのドレス、タキシードを着て花嫁を引き立てるブライズメイド(花嫁の付き添い人、立会人)や花婿の側のアッシャーのサービスも考えています。ブライズメイド、アッシャーは前祝いパーティの企画もするので、そのサポートもわれわれがします。兄、姉がいるからこそできるサービスをどんどん考えていきたいですね。それから、前からやりたいと思っていたレストランも今年2月にオープンする予定です。
―これからも家族で家業を守り抜いていくのですね。
よく事業承継後にきょうだいで喧嘩になるって言うでしょう。僕らきょうだいは仲がいいからそんなことはないと思っています。ただ、おかんはそのときのことも考えてくれていて大学生のときに「きょうだいでいがみ合うことがあるかもしれないけれど、そのときに間に入るのはあんたやからな」と言われました。3人の兄姉とは年齢が離れている分、3人とも僕のオムツを替えたことがある(笑)。3人にとって僕は弟であり、子どものようなもの。だからその役割が果たせるのかなと思っています。
(取材・文/山口裕史 写真/掛川雅也)
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RIVERSIDE ELEPHANTS株式会社
代表取締役
川辺 泰三氏
婚礼プロデュース、チャペル(結婚式場)運営、レンタル衣装(ドレス・着物)の運営など。