≪講演録≫バイオ企業・林原の真実~世界的優良企業「林原」はなぜ銀行に潰されたのか?
けんかする相手は兄ではなく他にある
私事ですが、本を出しました。一方的なニュースしか出なかったのでつらい思いをしました。悪者にされるのは覚悟の上で甘んじましたが、まったく報道されていないことがあったり、無視されたり、伏せられたこともありました。中小企業を代弁する報道機関がなく、ほとんどのマスコミは中央、大企業、金融機関寄りの姿勢で記事を書いているのは残念です。
たとえば、管財人は第三者委員会をつくるのですが、マスコミはその発表をほぼ鵜呑みにして載せる。だが委員のメンバーを見ると、管財人が所属する巨大な弁護士事務所の弁護士が10人くらい入っています。第三者委員会は弁護士事務所から独立していなければならないはずです。そういうことも調べずに報道をしているのです。
いろいろな事実をまとめて本として出させていただいたので判断はお任せしたい。銀行や管財人にしてみればとんでもない本を出しやがったということになるのでしょうが、趣旨はそういうことです。たくさんの感想をいただきました。自業自得だとか、粉飾をしたのだから何を言ってもだめよといった意見もありましたが、弁護士と銀行が組めば何でもできるんだねとか、破綻にかかわった人たちがその瞬間によかれと思ってやったことが全体として変なことになるおそろしさもあるよねといった意見もいただきました。
最近、兄の林原健が「林原家」という本を出して兄弟のことや同族経営のことを書いています。私は兄とはとても仲良くしていたが、破綻の後疎遠になってしまいました。私の本は小さな出版社から出したのですが、兄は日経BPから出しています。弟が馬鹿な本を出したので、東京の中央としては反論したいという思いがあって、兄の名前で逆の立場の本を出したのかなと思っています。真実は一つなので、両方読み比べていただいて評価を待ちたいと思っています。
ただ一つ辛いのは、あんなに仲のよかった兄と行き来がなくなったことです。これは破綻時の最後の段階で経営陣4人に損害賠償を請求するということになり、そのときに管財人から、「今までは4人1組でやってきたが、損害賠償になると4人の中で利害相反が出る。どうしてもお互いけんかになる話が出てくるので弁護士を分けなさい」と言われました。それを真に受けて一人ひとり弁護士をつけました。それで直接話をしたらいけないということになって弁護士を通してしかコミュニケーションが取れなくなってしまったのです。
兄の本の中で事実と異なる部分があるので、それは私のブログで公開しています。だが、私がけんかする相手は兄ではない。けんかする相手は他にいるのです。
不信感抱いた銀行のビヘイビア(振る舞い)
今回、一番不信感を抱いたのが銀行のふるまいです。自己査定もそのひとつ。林原の資産の評価は非常に低く見積もられました。上場株式もそうだったし、非上場株式に至っては市場で流通できないという理由でゼロとみなされました。お金に換わるものをどうしてきちんと評価してくれないのか。現に新しいスポンサーは700億円で買収に名乗りを上げたわけだから、それだけの価値があったということです。日本は国際的な知的財産評価のルールをまだ取りいれることができていない。林原の場合、おおよそ500億~700億円の特許権、知的財産、ノウハウを評価できたはずですが、日本の銀行はゼロでした。
会計学の後進性も感じます。社員の給料を下げる会社はブラックといわれますが、会計学上、人件費は経費だからできるだけカットしなければいけないと銀行から怒られる。だが働いてくれる社員は大事です。オンリーワンの企業だからがんばってほしい、と思うのなら人材は資産的な価値とみなさなければならない。バランスシートには資産的な要素も加味して表現できるとよい。研究開発費についても同じことが言えると思います。バランスシートにいい人件費と悪い人件費を分けてわかりやすく色づけすればいいと思います。
銀行は信用創造によって無限のお金が生み出されるようにできています。それは私から言わせれば神様から許された神聖な力だと思っているのですが、そう考えたときに銀行のビヘイビアはどうだろう。自分たちの運用の失敗を公的資金で穴埋めしようとするのはいかがなものかと思う。銀行だけが厚く公的資金で助けられて、銀行以外の人はみな泣いているのが日本の現状なのです。
金融の後進性が阻む経営者の再起
アメリカでは、失業して収入がなくなった場合、家を売って立ち退いたら住宅ローンの残債は払わなくてもいいノンリコースローンという金融商品があります。このノンリコースローンを企業の融資にも活用してはどうだろう。となると、銀行には企業を評価する審査の目が求められるのですが、残念ながら日本の銀行にはその目がありません。明らかな怠慢です。日本が再チャレンジできる社会になるにはこれをやらないといけない。損が出た場合はそれぞれが応分に負担すべきです。
生命保険にも問題があると思っています。生命保険の給付金は残された子供の教育費、治療費など最低限の生活費用を確保し、そこから余ったときに回収するようにしなければなりません。そういう引き当てを法律的にすべきです。個人保証も先進国に例のない野蛮な制度です。経営者についてとるのは仕方ありませんが、家族、親戚、知人にはなるべくとるなという指導を金融庁も始めています。私は、経営者からもとらないというのが持論です。破綻のコスト負担は経営者や家族に集中させるのではなく、社会全体で広く薄く負担をさせるようにしないと再登板できない。一回失敗すると立ち直れない。日本で企業の新陳代謝が進まない理由です。
林原の株主は私と兄の2人でした。一般の株式公開会社とは違うわけで、おのずと義務も責任も異なります。とくに中小企業の場合、税務と会計は違うことを弁護士もマスコミもわかっていません。会社法と金融商品取引法がごちゃまぜになって中小企業が守られていないのです。
この破綻でいったい誰が儲けたのか
ほとんどの人が破綻で迷惑をこうむっています。結局誰が一番得をしたのか検証すると、メインバンクである中国銀行と法律事務所です。これは偏見ではなく事実としてです。法律事務所は1300億円ほどの債務額の一定の手数料分を稼いでいるでしょう。取り巻く会計事務所もフィナンシャルアドバイザーも相当巨額な報奨金を得ているはずです。債権ビジネスにかかわるコングロマリットがしっかり儲けているということなのです。
中国銀行にしてみれば債務は全額戻ってきました。林原の持っていた株が全株TOBで自分のものにできたわけで、大株主、目の上のたんこぶがいなくなった。その株を自己消却したので株価が5、6割急騰した。林原が所有していた駅前の一等地再開発については地域商店街を守るために商業施設は入れない計画でした。ところが、破綻後イオンに売られてしまった。中四国最大の商業施設ができる計画です。その結果どうなるか、地元は戦々恐々としています。
現在、中国銀行に対して損害賠償を請求する裁判を起こしました。恨みつらみがあるわけではなく、違法行為があったのでこれについては問う。
ギリシア神話のアイロニーに英雄の悲劇があります。辛い目に遭って命絶たれたり没落したりする英雄の原因を見ると美徳に行き着く。誠実であったり、家族を守るための責任を果たすとか、弱きを助けるという美徳がもとになって悲劇は生まれる。ただその場合、後世になって大切な価値は必ず伝わります。
私は正直すぎると言われます。人のせいにしたり、隠したり、逃げたり、うそをつけば一時的にはよかったかもしれませんが、その後ろめたさがあれば、こうして今皆様の前で話せるようになることもなかったと思います。事業だから失敗、成功はあります。大事なのはその間をどう過ごしたかなのです。いいときにおごってはだめですが、悪いときにも絶望するなと言いたい。誠実に真面目に一生懸命やっておけば後は何が変わるかわからないのです。
私に起こったことは他人事ではありません。自分がしまったと気づいたときにはもう手遅れです。傍観者ではいけません。よりよい社会にするためにぜひ声を上げてほしいです。